top of page

水銀の落下​​

過去ログ #100-#130

テキストサイトTOP

#130

他者と他者は理解し合うことはできない。何度も繰り返している、僕の信念、というか魂に刻まれた警句の一つである。僕は仕事柄、海外の人とメールや電話のやりとりをする。その多くは日本語ベースとなるが(ちなみに僕は英語が全く出来ない。特に対話能力はビジネスレベルには遠く及ばない。なぜこの仕事が出来ているかは謎)、そこには必ず翻訳という劣化が入る。相手の翻訳役による解釈、もちろん僕が言葉を訳す時も原語のニュアンスは大きく削がれる。結果、ディスコミュニケーションが発生する。これはもう必ずと言っていいほど発生する。どれほど熱心に説明しても、意思疎通の断絶はしばしば訪れる。さらにこれは海外に限らない。国内、いや同じ会社、同じ部署であろうと二者間の交信の齟齬はよく発生する。たとえこれを家庭内まで縮小したとして同じことがあるだろう。なぜか。これはもう発信と受信、発声と聴音の段階で、劣化が進行しているということに他ならない。つまり、僕らは一度だって言葉を真の意味で自由に扱えたことなどないのだ。そんなことは分かりきった、もはや当たり前のことである。脳はそれ自身で語らず、何も聞き取らない。全ては電気信号、そして筋肉や膜の振動といった外部機関を経ている。僕らはテレパスでなければ、ニュータイプでもなく、水を通じた意識のネットワークにも接続できず、首元にプラグは存在しない。脳to脳のダイレクトコミュニケーションは非対応だ。僕らは言葉という劣化した意思の交信でしか互いを見出せない。可聴域にてCQCQCQ。あー、そういや僕、実はアマチュア無線3級免許所持なんですよ。交信相手にはQSLカードを贈呈。モールスにも対応。数はともかく心は少数派、俺たちにだけ聴こえる特殊な電波。頭蓋に刺さった八木アンテナの調子はどうだ。話を戻せば、相互理解ができるとされるニュータイプはそれでもなお殺し合ってしまうし、意思を劣化なしに伝え合うことができようがやっぱり完全な協和は訪れないんでしょうね。そこに他者理解という(不可であることが自明な)プロセスがある限り。いやコミュニケーションとは何か、なんて概念の話をしたいんじゃないんだ。とにかく、言葉を用いる限りそこには必ず誤謬があり、大小、いくつもの相互不理解が横たわる。人は生きている限り、絶対に他者を傷つける存在だ。究極の優しい人とは死人。じゃあどうすればいいの、って、もう諦めてがむしゃらに言葉を投げ続けるしかないんすよね。ハリネズミだかヤマアラシだかがじれったくてどうこう。人を加害するという事実に、目を背けるのも、開き直るのも、それは立派なコミュニケーション術なのだ。言葉を用いる以上は、加害、そして被害と付き合っていかなければならないのだから。他者と生きるに当たってもっとも愚かなのは、口をつぐみ、耳を閉じること。一人で生きていく覚悟がないのであれば、それが一番の悪手になる。交流しなければ、他者との関係は何も生まれない。とあるオタクが言っていましたが、シェアハウスで一番大切なのは挨拶、そして対話、つまり馴れ合うことだという。だって馴れ合わなければ一緒に住んでいる意味がないから。何かの漫画でも、まず人は挨拶を失い、次に会話を失い、やがて憎しみ合うとあった。いくつかの経験上、概ねその通りだと思う。とはいえ他者から背を向けること、そのこと自体を否定するわけじゃない。そういう人種や期間も確かに存在する。だが、人に意思が伝わって欲しい、もしくは何かを伝えて欲しいと願っているくせに、外部装置の電源をシャットして、肉体の殻の内部に沈んでいるような卑屈な態度が問題なんだ。とあるゲームじゃないけど、そのヒクツさはすでに傲慢なんで。傷つけるより傷つく方がいいのは弱虫で、喧嘩するより謝る方がいいのは物臭に違いない。お気づきかもしれないが、この文章で断罪しているのは僕自身のことである。僕は時折コミュニケーション能力が高いと言われる機会があるが、全くそんなことはない。僕がしているのはコミュニケーション/交流ではなく、ただの共振でしかないからだ。相手が欲しいであろう言葉を空っぽに投げて、張り付いてしまったへらへら顔を浮かべて、蛾と蝶とたこ焼きとたこの違いもつけずにその場が盛り上がればいいことを並べ立てている。傷付かず、傷つけないことを選んで。自分の本心を他人の主張と競争させようとも思わない。僕は空洞で、ゆらゆら揺れているだけ。それも難しいと判断すれば、言葉を閉し、ただ排他的な自己の内に籠るだけを選ぶ。そのくせ思い立ったように誰かと精神的な繋がりを求めれば、ひどいコミュニケーション不全を起こして意図せずナイフを突き立ててしまう。インターネットでの社交ダンスも失敗して、大切だった人も失って、人を傷つけ自分が傷つく原因はその加害も被害も恐れた傲慢な態度であると分かっていながらなお、他者との距離を測りかねている。外界へ手を伸ばした果てにいつも相手に嫌われる、もしくは見放されるような、気味悪い粘度高い自意識を抱えて、その失敗の積層で臆病になっている。結局行き着くのは自己憐憫で、同情誘いばかりの乞食のムード。人に見て欲しいけど、相互方向のコミュニケーション、何かを強く発信するのが怖くて、滑稽さだけを陳列する。仰向けで腹を見せて、降伏のポーズ。僕は無力で無害です、せめて笑ってくださいな。それはとても楽で、そんでもって一番品がないことである。他者と他者は理解し合えない、やはり事実。だからこそ、お互いに傷つきながら、劣化した情報をぶつけ合う。それが僕らの持つ最悪だけど最善の伝達方法だから。このところ自分の醜悪な心性に怯えていたが、最近は少し扉の外に興味が出てきた。酷い寒さの中にいた時の文章を振り返ると、言っていることがまた変わっているとお思いでしょう。僕自身、寂しがりの僕を自己の中に封止してしまうべきか、以前のように他者との関わりの中で苦悩しながら生きていくべきか、どちらがいいのかまたわからなくなっている。ただ、どちらの選択肢も見えているということは、また分岐路まで戻って来れたらしい。Y字路を一方へ突き進んでは帰り、他方へ進んではまた逆行するような人生だけど、まだ結論は出ていないようだ。とにかく、またここからのスタートです。再度のはじめまして、あなたは何をしていますか。僕は次の一歩を決めかねているところです。

#129

 旅がしたい、という気分になる時がある。元来、僕は特別な旅行好きじゃない。都会に身を浸している方が圧倒的に好きだ。でも時折逆らい難いほどに、遠くへ出て行きたいという想いに囚われる。できるだけ荷物は軽く、できるだけ知らない場所へ。つまりは「ここでない場所」へ、「私でない自分になって」という欲求なのだと思う。旅行記や、異国的な情緒が強く現れたフィクションを読むと、僕はしばしばそんな感情に囚われる。書物を読む、ということが既にある種の巡礼、またはその追体験になるのではあるけれど、いかんせん僕という人間は自分の体でその「異国」を体験したいという気持ちが昔から強いのである。自分の頭蓋にこびりついた経験則からなる「論理」とかいうくだらない価値観から、なんとか外側へ踏み出したいと常々望んでいるのだ。狭いところが苦手で、ひっきりなしに外へ出ているのも、どこか外界に触れていたい、自分の想定していないアクシデントに巻き込まれていたいことの発露なんだと思う。ここでない場所へ行きたい。望むことなら海外だ。僕はそれほど海外へ出た経験が豊富というほどではないけれど(マレーシア、韓国、台湾、中国、いずれも近場だ)やはり日本の外というのは基本原則が違うことが空気でわかるものである。国内で異国を味わえないかと努力した時もあった。だが西成に滞在していた時も、某宗教法人の自給自足村に泊まり込んでいた時も、結局は日常の延長線だという感覚から外れることはできなかった。やはり単純にこの島国から脱出するという事実、解放の認識こそが重要なのだろう。だが現実に、2021、もうしばらくは国外へ脱出することは叶わない。いつになれば大手を振って海外旅行を満喫できるのだろうか。とりあえず今は資金の準備を進めていくしかない。次の行き場所は決まっている。オランダはアムステルダム。一択である。これからの僕の人生を振り返った時、もうやりたいことが尽きていることに気づき、最後に残っていると感じたのはカジノとxxだった。僕の最悪な人間性がよく出ていると思う。ギャンブル&Dxxx、どちらも過去に努力して僕の生活から遠くへ追い出したものだ。それでも、最期に望むのはそれらなのか。とにかく、カジノはラスベガス、xxはアムステルダム、と相場が決まっているので悩むことがなくて助かった。どちらが最初でもいいけれど、まあカジノを先にして、現地で自我が崩壊して完全丸裸の貯蓄0になってしまったら次のアムステルダムに行く前にくたばるしかなくなってしまうので、それは後ろ倒しにした。とりあえずは風車の国で、緑を楽しむことになる。……やだなあそのまんま自然とかの意味ですよ? アムステルダムは綺麗な風景の割に、観光名所から少し歩いただけで分かりやすく夜の街になるという。そういう混在一体感は好きだけど、残念ながら僕は女性の方に興味がないので、滞在中はおそらく、ひたすら煙を吐いているか、それ以外は芸術館を巡っているかになるだろう(思い出したけど、西成にいたときに飛田新地にも行ったが、ただ歩いてみただけで楽しかった。あれはちょっと異国だった)。早く外界に出れるようになってほしいな。というかパスポート切れちゃうじゃん。あーあ10年で作ればよかった。まあ僕は仕事で海外にも行くので、ここら辺は落ち着いてきたら会社の仕組みを使ってうまく更新できると思っている。まあ、今は辛抱ですね。

 そういえば少し前に美術館を目的として箱根にフラフラと小旅行をしていたのだけど、何気なく入った民宿が素晴らしかった。客は僕だけで温泉は貸切状態だし、外で凍えながら煙草を吸っていたら、宿のご主人がこっそりと部屋に灰皿を差し入れてくれた。朝も発達障害を発揮しまくってチェックアウト時刻を大幅に過ぎてから早朝外出から帰ってきたのだけど、急かすこともなく予定にない朝食までいただいてしまった。旅の最中はいつもより人の善性を感じる機会に恵まれる気がしていて、そういうところも僕が旅を嫌いに慣れない理由なのだろう。

​ 20210127

#128

 匿名ラジオ、聴いていますか?

 今更僕から説明することでもないんですけど、匿名ラジオとは現在webメディア「オモコロ」で主に活動しているライターの「ARuFa」と「ダ・ヴィンチ・恐山」の二人がパーソナリティを務めるラジオ(YouTube にて毎週更新)です。ラジオという体はとっていますが、世間で言うところのラジオ番組とは違い、定期コーナーやお便りの紹介は基本的になく、ただひたすらに毎回変化するテーマに則って二人が連想ゲーム的に会話を広げたり、寸劇をしたり、自由な漫談をする場となっています。

 回によって大きく内容の方向性が変わる上に、すでに200回を超えるアーカイブがあり、おすすめしてもどれから聞けばいいか迷ってしまう方も多いかもしれません。ということで今回は匿名ラジオフリークの僕が、勝手に匿名ラジオ新規参入のためのガイドを作ってみました。

 

◆基本的なこと

・別に#1から順番に聞かなくてもOK(過去回を前提にした喋りはほとんどない)

・たまにゲスト(ほとんどオモコロライターの同僚)が出るけど、仲のいい友達くらいのニュアンスで軽く捉えればOK

 

◆初めての人向け

 ARuFaや恐山のことをあまり知らなくても楽しめる内容をセレクションしました。ちなみに匿名ラジオのチャンネルには【初めての方にオススメ回!】という再生リストがあるのでそちらも参考にしてください。ただしそのなかの#163「法律が存在しないサイゼリヤ」は結構上級者向けなので注意。

 

#135「子ども100人と一緒にキッザニアに閉じ込められたらどうする!?」

⇒蝿の王や無限のリヴァイアス、漂流教室を彷彿とする内容、そしてラストはもはやSFホラー。

#54「オーキド博士の葬式に呼ばれたらどうすればいいの?」

 ⇒基本的に国民アニメ題材回はハズレなしです。#170ドラえもん回、#75ちびまる子回などもどうぞ。

#21「決定!みんなの『ヤバリーマン川柳』大賞!」

 ⇒#16 「これからはヤバリーマン川柳が来る!」の派生回。「ヤバいサラリーマン」を題材とした川柳について視聴者募集した際の、秀逸な投稿を読む回ですが、どれも群を抜いて面白すぎる。個人的には第三位が大好きです。(しかし、それを上回るほど第一位がヤバすぎる)

#130「海外のヤバい刑務所に収容されたらどうすればいいの!?」

 ⇒スタンダードに匿名ラジオらしい回。話の畳み方が本当に上手いなあと何度聞いても感心します。

 

◆ARuFa、恐山のことがよく分かる回

 少し匿名ラジオに慣れてくると、パーソナリティの二人のことも気になってくると思います。ということで、二人の精神性についてよくわかる回をピックアップしました。もっと大枠でどんな人なの? っていうところは、「オモコロチャンネル」の方に各人の紹介動画があるのでそちらも参照するといいと思います。

 

ARuFa

 人生をブログとオモロに費やしているため、仕事以外に趣味がない。感性が明らかにおかしい。大食いで酒飲み。大胆に見えてかなり心配性。

#118「モテるために自分の『ヤバい部分』を他人から指摘してもらおう!」

#10「世間とズレた感覚をチューニングしよう」

#62「人生スッカスカ人間ARuFa、インスタグラムを勧められる」

 

恐山

 Twitterなどで怖い人のイメージがあるが、実はかなり気さく。ついでにドジ。というか発達的なアレ。感性はまともにみえて、やはりおかしい。下戸でガリでメガネのオタク。

#95「なんか周りから怖い人って思われてるっぽいんだけど!?」

#132「クソドジでポンコツな友達を救うために相談に乗ろう!」

#212「心配性なARuFaを、恐山のような『豪快な男』にしよう!」

 ⇒この遅刻癖の思考回路は僕にもかなり当てはまることが多く、発達障害特有の謎論理をうまく言語化できていると感心しております。

 

◆中級者向け(二人の関係性やラジオ関連)

匿名ラジオには、コンテンツ自体をメタ的にネタにした回や、二人の関係性を分かっているとより楽しめる回がたくさんあります。是非、ある程度ラジオを聴き込んで、なんとなく二人のことを把握してきてから視聴してみてください。

#165「もっと仲良くなるために、お酒を飲んで腹を割って話そう!!」

 ⇒珍しい恐山飲酒回。泥酔した恐山の「媚びるな!」は本ラジオがアレ方向にもウケていることについて唯一(遠回しだけど)言及している瞬間な気がする。「でもありがとね」

#121「しょうもない議題でマジ討論!『リンゴとバナナ、どっちが優れたフルーツなの!?』」

#200「祝200回記念!お互いの苦手を克服しながら一緒に料理を作ろう!」

 ⇒二人の仲の良さが一番詰まっている回だと思います。ARuFaがずっと肯定してくれるの、本当に長男力が高いし、人間として素敵すぎるんだよな

#202「自分達への『偏見』をリスナーから募集して答え合わせをしてみよう!」

#134「パラレルワールドっていいよね~~!!」

 ⇒個人的に一番の傑作コント回。ぜひ第一回を聞いてから視聴してみてください

 

◆個人的なセレクション

 メタっぽい回と、性格が悪い回は大好きです。

#236「スーパーで集めた『お客様の声』をぶつけ合わせてバトルしよう!」

#223「誰もが一度は憧れる『異端な存在』に自分もなってみた~い!」

#52「祝一周年!忘れもしない、あの日起きた大事件を振り返ろう!」

 

ということで個人的なまとめでした。もちろん、これ以外にも面白い回もたくさんあります。

どこから聴いても楽しめるので、みなさんも是非一度聴いてみてくださいね。

あと、もし既に聴き込んでいる方がいたら、あなたの好きな回もぜひ教えてください。

【追記】

僕と同じく匿名ラジオフリークな友人にふと好きな回トップ3を聞いてみたことがあるので、僕のも含めて載せておきます。

 

・僕の個人的なトップ3

1位#134「パラレルワールドっていいよね~~!!」

2位#52「祝一周年!忘れもしない、あの日起きた大事件を振り返ろう!」

3位#200「祝200回記念!お互いの苦手を克服しながら一緒に料理を作ろう!」

 メタ回が好きなのがよくわかる。ちなみにこのテキスト中に出てきていない回で、ほかに好きなのは#197ちょうどいいダジャレを考えてみよう、#180限界しりとり、#192ウソ寝言

・友人の個人的なトップ3

1位#170「俺達はドラえもん御一行にどんな冒険を提供できるのか!?」

2位#130「海外のヤバい刑務所に収容されたらどうすればいいの!?」

3位#200「祝200回記念!お互いの苦手を克服しながら一緒に料理を作ろう!」

 わりとストレートに匿名ラジオらしい回、もしくは二人にフォーカスした回が好きみたいです。他には#195 ARuFaが腹壊して救急車、#163法律のないサイゼリヤ、#144 お散歩収録、#109 姉が欲しい、#98 フォロー上手など。

#127

酒を大量に飲んだ次の日は決まって酷い気分になるんです。僕は本当に醜い人間です。さきほどまでも、突然「昔好きだったラジオのパーソナリティが新しく始めた方のラジオ企画に許せないことがある」なんてことを告発するかのようにつらつらと書き綴っていて、それを公開しようとまでしていたんです。そんなこと人前に発散しなくていいでしょう。何がしたかったんだろう。チラシの裏にでも書いてろよ。視聴者0人のツイキャスで喋っていろよ。冷静になって全部削り取った今、心底自分を軽蔑して、嫌いになっています。こんな自己反省のようなパフォーマンスを繰り返しても、何にもならないのにね。散弾銃があれば、このうるさい脳味噌を一瞬で全部吹き飛ばしてクリーンに出来るのに、といつも考えてます。でも現実に日本ではショットガンは手に入らないから、仕方なく御茶ノ水でフェンダージャガーを買って、最悪の気分になりました。ギターなんか一度も触ったことないのにな。閉店数分前の楽器屋で、とにかく音が出るように袋に詰めてくれと頼んで、何に金を払ったのかもよくわからないまま店を出て、そんな自分の思考のダサさに辟易して帰宅しました。少し前にいつの間にかアラサーに突入した僕は、いつまでこんな品のない行動を続けるんだろう。だけど、とにかく何か創作を浴びていて、創作を続けていたいという小さな欲求だけは残っていて、もうそれに従うしか生きる道がないんです。生きる理由なんてその僅かな灯しか存在しないんだから。そういえば小説の方も多少練っていて、とにかく散らかしたあれこれを拾い片付けるところから始めなくてはいけないと準備している。だからこそ怠惰でいられるわけがないのに。弦を抑えて指の腹が痛くなって、少し横になったらいつも酒で疲労している内臓がシラフの今日は楽で、このまま酒なんか追い出せる日が続けばまだ自分が許せるようになるかなと考えている、一日の終わり。

#126

今日はずっと胸が苦しかった。ストラテラの副作用が強く出ているんだと思う。空きっ腹でたくさん錠剤を飲むといつも胸につかえたような気分の悪さを覚える。ここ数日、まともに飯を食べていない。なぜかまったく食欲がわかないから、夜の一食だけ義務感で少し食んで、あとはひたすら酒を飲み続ける。昨日は久しぶりにパニック発作を起こして、逃げるようにウイスキーを飲んで無理やり眠ったのだけど、その夢の中でも酷いパニックを起こして、泣き叫ぶように目を覚ました。それから朝までまともに眠れず、酷い夢を見てはすぐに目を覚まし続けた。今日は会社でもずっと鬱になって頭の声がうるさくて、攻め続けられていたら、またパニックを起こしそうになって、慌てて人に見つからないようにトイレに逃げようかと立ち上がった時にコーヒーをこぼして白いパーカーを汚してしまった。もうそれからは全てがどうでもよくなって終業までただただその場に座り込んで過ごした。紐があればくくりたかったし、線路があれば飛び込みたい気持ちだったが、まあ実際タイミングよく自死のチャンスが目の前にあってもどうせ怖気づいてしまうんだろうな。誰か殺してくれってのが正しい感情です。今日も帰ってからはずっと酒を飲んでいる。年末前に空にしたはずの特大サイズのゴミ袋は、いつのまにか酒の缶で容量限界まで満たされてしまった。年末年始、いつの間にか終わってしまったな。仕事がない間は、人の気のないところへ小旅行をして、いくつかの映画や本、ゲームを消化し、やたらめったら服を買って、そして二束三文で売り払っていた。それ以外の時間は(いや、その時間の最中も大半は)ひたすらアルコールを飲んでいた。一発で酔って潰れてしまうのはもったいなく感じたので数%程度のビールやチューハイ、ハイボールを飲み続けた。死にたさが消えるくらいの程よい酩酊を長く楽しみたかった。すぐに潰れて倒れてしまうのは何となく損に感じた。どうしても強く酔うのが必要な時は、ウイスキーに変えるか、濃度を上げたホッピーを飲み干していた。アルコールが体内に存在しない時間の方が短かったと思う。朝起きても脳がまだ酩酊して、内臓が疲弊を続けているのが分かった。何とかベッドから這い出ればすぐコーヒーと煙草をひっきりなしに摂取して、必要な用事だけをなんとかこなして、残りの時間はまたジョッキグラスと過ごしていた。夜、シラフでいるのが怖い。夜だけじゃない。ふとした瞬間に、冷静になって自分をみつめる時間があると発狂しそうになる。このところひたすらに仕事が好きだったのも、自分を忘れられるからだ。実験や解析、会議に追われている間は無我になれた。でも年明けになってから自分の手持ちの仕事が少し減って、また自分を振り返る時間が増えてしまった。日中の憂鬱は確実に僕の頭の上に堆積して、夜になって一度に降り注ぐ。脳に流れ込む、あの酷いにおいのするべたべたとする濁った液体。僕はそいつを透明にするために、薄めたエタノールに頼らざるを得ない。でもそれじゃあ何の解決になっていないのは自分が一番分かっているんだ。僕は睡眠薬に代わる依存先を見つけただけで、あれから一つも前進していない。アルコールは僕をどこにも連れて行かず、次の日の死にたさを助長するだけだ。まやかしの逃避を続けていれば、この頭上に溜まった希死という毒液はいつか致死量を超えて僕を殺す。そうでなくとも、酒の精神依存・身体依存が重度化して、不治の病であるところのアルコール依存症に片足を突っ込むかもしれない。(まあアルコール依存については中島らもですら重度化するまでに10余年を要していたし、楽観的にとらえてはいる)。とにかく、重要なのは冷静にならないことだ。頭蓋の内側に同居するこの悪魔の呪詛に耳を傾ける余裕もないほどに、息を切らして走り続ける必要がある。どうにかもう一度戻らないといけない。コンテンツをひたすらに摂取したり、想像を書き連ねたり、そんな信仰に近い日々へ。この部屋を、脳を、そんなものたちで埋めてやる必要がある。寂しがる暇もないほどに、死にたくなる暇もないほどに、走り続けなくちゃいけない。我に返るスキマを埋めろ、我に返るスキマを埋めろ、我に返るスキマを埋めろ! あの人やあの出来事やあの失態の形を模した、前頭葉に巣食うくそったれを置き去りにするスピードで。トモフスキーの音楽を響かせて。なあ。死にてえけど死にたくねえんだよ。殺してくれるなら殺してくれよ。お前がナイフ輝かせてこの腹を掻っ捌くまで、バカみてえにどうにか走ってやるよ。だから、それまでは静かにしてろ俺の理性。

#125

 喫茶店のカウンターでアールグレイとともにフィナンシェを食んでいると、一人の男性が隣に座った。
 その男はくたびれた様子で深く椅子に座りしばらく紫煙を燻らせていたが、やがて手にしていた煙草を灰皿の底で乱雑に揉み消すと、それからはただ頬杖をついてカップの中の水面を見つめ続けていた。僕はそんな彼が気になって声をかける。
「何を考えているのですか?」
 男は頬杖を気怠げにほどいて僕を横目で認めると、ゾウについて、と独り言のように呟いた。
「ゾウ、ですか。彫刻の? それとも動物の」
「哺乳類長鼻目ゾウ科の象だ。エレファント」
 倦怠の態度を崩さないまま、彼はそう呟いた。明らかに歓迎されていない。だが、僕はそんな彼の様子にも構わず言葉を続けた。
「なるほど、それは興味深いですね。喫茶店で象について考えを馳せる人はなかなかいないでしょう。彫刻なら多少はいるでしょうが。ともかく、とても面白そうだ」
 実のところ、エレファントでもスタチューでも何でもよかった。僕は恐ろしいほどに退屈していたのだから。喫茶店なんかにいるのがいい証拠だ。時間を持て余した者と、孤独を持て余した者だけがこの空間に足を運ぶ。
 きっと隣の男も例外ではない。そう踏んだから、声をかけたのである。
「まったく面白くない話さ。ただの記憶が捨てられずにここに堆積して、俺を鈍らせている」彼はうんざりするようにこめかみを親指で力強く二度叩く。そして目の前のブレンドを音立てて喉に流し込む。僕はそれを無言で見守った。彼は僕に目をやらず、空になったカップをしばらく見つめていた。そして幾分か時間が過ぎ、彼は諦めたように一つ大きなため息をつき、僕を見ないまま口を開いた。
「面白くない話さ」繰り返す。「それでもよければ、話してもいい」
 僕はそれに応じるように、彼と、それから自分のためにブレンドを二杯注文した。


 かつて俺は象とともに砂漠を歩いていた。
 その象とは相棒とも言える関係で、長年の付き合いがあった。べらぼうに巨大だったよ。そりゃそうだ。なんの隠喩でもなく、正真正銘のアジアゾウなんだからな。かつては小象のときもあったかもしれないが、記憶の中ではいつだって、そいつは俺なんかよりはるかに大きい図体を持っていた。何かの癇癪で、いともたやすく人間一人くらいバラバラにすることができただろうな。だが、そいつはそんなことはしない。大人しくて、優しい性格だったんだ。それに、俺によく懐いていた。厳しいほどに冷える夜、そんな時には、ゾウは俺を腹の下に潜らせて、その柔らかい表皮で包みこむのさ。俺のことを自分の子供か何かと思い込んでいたのかもな。そんな相棒の背にも乗って、はるか先の未開の地までも移動したものさ。とにかく、俺はその象が好きで、そいつと一緒ならどこにでも行けると思っていた。でもそれは案外簡単に終わりがやってくるもんで、その果てが砂漠だったんだ。
 皮肉なもんだな。

 

 その頃になると、象は内臓を病んでいた。原因は分からない、が、どうやら痛みが骨に響くようで、立って歩くだけでも精一杯になりつつあった。
困り果てていた俺は、砂漠を超えた先に、薬草の茂った泉があると聞いた。その水は万病に効能があると言う。もちろん、ただの外聞さ。最後の希望にしては、蜃気楼より不確かだった。でも、一縷の望みに変わりはない。俺たちは後先も考えず、泉を目指して砂漠に挑んだ。
 

 砂漠での生活は苦しかった。日毎に象の歩幅は縮み、以前よりスローモーに動くようになっていく。俺が背に乗ると負荷が掛かるのか、すぐに身をよじって振り落とすようになった。運んでいた貨物をくくりつけても同様だった。だから、俺は全ての荷を背負い、自分の足で砂漠を横断する日必要があった。できるのは、ただ隣を歩き、時折あげる悲痛な声を聴き、その太い足をさすってやることだけだ。何の慰みにもならないと分かっていながら。
 象は今では、寝るときに足を畳むのも精一杯だった。もちろんそんな状態では、泉にたどり着くより先に食料が尽きるか、俺も砂漠にやられて倒れるか、どちらかにせよ共倒れが近いのは分かっていた。予想より速い速度で、死は俺たちに追いつこうと迫っていたんだ。

 そんな時、砂漠の真ん中で一人の男と出会った。九死に一生を得たよ。そいつは十分すぎるほどの蓄えを備えて旅をしていて、死にかけていた俺にも十分な食料と水を分けてくれた。俺は彼に感謝したよ。命の恩人だからな。出来ることなら彼に何か尽くしてやりたいと思ったが、いかんせん俺はもう何も持ち合わせていなかった。象以外は。
 
男は俺が連れている象にえらく興味を惹かれていた。
「ずいぶん年季の入った象だ。類を見ない大きさだな」
 まるで品定めするように相棒をじっくり見つめていた。いや、それは正しく『品定め』してたんだな。
 俺が出会ったその男は、行商人だったんだよ。予想の通り、彼は俺に象を譲ってくれと頼んだ。しかもただじゃない。十分すぎる金額を提示したんだ。それは俺には有り余るほどの大金で、一生象を連れ歩き歩いても稼ぎきれない額だった。
 だが同時に理解していた。なぜ彼が病気持ちの象なんか欲しがるのかを。男は相棒のたくましく生え揃った牙だけを見ていたんだ。俺が象を手放したら、そいつは早々に象牙を引っこ抜いて、そいつを殺しちまうだろう。だが、それが何だと言うんだ? 泉の話はただの伝説で、実在するかも分からない。それに象はもう老年で、その病が治っても、すぐに違う病気になっちまうだろうさ。
 俺は男が懐から出した札束を睨んで、それからここまで連れ歩いてきた相棒を見上げた。象も俺を見つめていた。たっぷりの涙を浮かべた眼で、息も絶え絶えにな。
 選択が俺を迫っていた。そして、それから目を背けるように、俺は歯を食いしばって、一方に手を伸ばした。


「それで、あなたはどうしたんです?」
 ぬるくなったコーヒーの、最後の一口を啜って僕は尋ねた。男はまた、僕に視線を合わせないままに「面白くない話さ」と呟いた。
 そして突然こちらに顔を向けたかと思うと、無表情のままで両手の人差し指を口に入れ、頬を大きく引き伸ばした。

 

 広く開いた彼の口腔では、両の奥歯が一本ずつ、きれいに欠けていた。
「まったく、面白くない話さ。そうだろう?」

#124

 深夜に目が覚めた。部屋を出てアパートの裏通りを歩いていると、路傍で座り込んでいる男に逢った。男はアスファルトに敷物を広げて、座禅を組み、柔らかく目を閉じて瞑想に耽っている様子である。暫く見つめていると男が瞑想を解いて目を開いたので、僕は男に何をしているのかと尋ねてみた。
「月の力を借りて、今日を忘れているのですよ」
 晴れて明るい夜の路で、男は再び目を閉じる。

 それを見て僕は、どうか明日が訪れませんように、と小さく口に出してその場を後にした。

#123

「私のこと、大切に壊してね」

#122

 大掃除の時期ですね。ということで収納の話をします。唐突か。本当は理由なんてどうでもよくて、なんとなく自分の収納ノウハウについてまとめたくなっただけです。
 最初に僕が考えている収納の極意を述べますが、それは「規格化しているアイテムを使うこと」です。まあ規格化って言ってもエンジニアリングでいうような厳密な意味ではなくて。いつでも必要に迫られた時に、同一の製品が手に入るものを使えということです。信頼に足るメーカーや、長い間定番化している製品を使えば、品質の安心はもちろん、買い足しにも便利です。特に収納はスタックしてなんぼですからね。その都度無計画に100均やAmazonの安価品を使っていると、気づいたら廃盤になっていて、押入れの中でウボンゴ3Dよろしく立体パズルが始まるハメになります。それを避けるためにも、出来るだけ収納のメーカーは吟味しましょう。
 さて早速ですが、実際に僕が使っている収納用品を紹介していきます。

 

1.    薄型折りたたみコンテナ/TRUSCO
 工具・収納界の雄、トラスコ中山のコンテナです。まあ、とにかく物を詰めるつったらこれです。断捨離しても残ってしまったあれこれは全部ここにぶっ込んでください。使わなくなっても折り畳めて邪魔にならず、組み立て簡単。色も容量もバリエーション豊富でロングセラー。言うことなしです。おすすめはクリアカラーです。中身が見えるだけで利便性が段違いなので。僕はトラスコ製しか使ったことないですが、他メーカーからも同じような製品は出てます。よく調べてないから適当なこと言いますが、コンテナって物流関係でちゃんと規格化されてるんじゃないですかね。おそらく他メーカー品ともコンパチになってるのでスタックできると思います。ほら、別メーカーのコンテナだとアニメコラボ品とかあるからさ。そこらへんは好きにしてください。

 

2.    トランク型工具箱/TRUSCO
 またトラスコ。僕はトラスコへの信頼が堅い。なんか無骨なのがいいんですよね。これとかすごくシンプルなのにデザインもよくて、しかもスタックできる。この工具箱は自室の棚に納めて、小物の整理に使ってます。銀行の通帳とか印鑑をまとめたり、医薬品を入れて簡易的な救急箱にしたり、パイプや葉巻のツールを入れたり。文具を入れるのが特におすすめですね。家の中で簡易的な文房具にもなるし。とにかくちょうどいいサイズなんで、本当に取り回しがいいんですよ。カラーもたくさんあって、用途で分けておけば判別も楽です。僕は側面にダイモのテープライターで作った簡単なネームシールを貼って、さらにわかりやすくしてます。アメリカ映画のガレージに出てきそうな見た目になって、すごくカッコいいんですよ。洒落ているでしょう。
 ちなみに、普通の工具箱としては、同じトラスコの山形工具箱を使ってます。こっちはスタックできないから注意。容量と見た目で選びました。

 

3.    同人誌収納ケース/伊勢藤
 オタクなのでね……。まあ、実際困るんですよ、薄い本の収納って。無限に増えるからカラーボックスとか占領しちゃうし、頻繁に読み返さない本も多いし。無印の引き出し式を使ってる人も多いらしいんですが、なんか虫とか湧いたらいやだなーって気持ちで、ちゃんと密閉できそうなこれを選びました。
 利点はなんと言ってもB5がぴったり収納できる。これに尽きます。意外とB5のために作られた収納って世間にないんですよ。A4は多いかもしれんが。買う前は「B5しか入らないのかー。A4の本とかあったら困るじゃん」と思ったんですけど、自分のコレクションを調べたらB5までの本しかなかったわ。B5以上で作ってるサークルって全然ないんですね。まあ、そういうのが出てきたら、A4のクリアケース使えばいいだけなので。とにかく同人誌は全てここにぶっ込んでます。ちなみに冊数は数えてないんですが、僕の手持ちは4箱分くらいで納まりました。自分が参加してないと基本的にイベントに出向かないし、少ない方だと思います。Amazonレビュー見たらこの箱を業務発注の如く大量に買い込んでいる猛者たちがいて感心した。そういう人たちに同人活動という文化は支えられてるんでしょうね。素直に尊敬しております。

4.    PPストッカー4段・キャスター付き/無印良品
 最近導入しました。「これは便利だなあ」と日に日に感じている製品です。
 写真を見て貰えばすぐわかるんですが、とにかく細くて縦長のポリプロピレン製ストッカー。この細さが良くて、ちょうどウチだと冷蔵庫横のデッドスペースにぴったりなんですよ。僕は主にここに袋類を入れてます。何かと使うスーパーのレジ袋だったり、保冷バッグ、紙袋、ショッパー、などなどをまとめるのにちょうどいい。前はでっかい段ボールに雑多に突っ込んでいたんですが、正直、ゴミ箱なのかストッカーなのかよく分からない状態でした。それで気づいたんですが、そもそも袋なんてそんないらないんですよね。それなのになぜか大量にため込んでしまう。こういうのはマインドセットが大切なので、ちゃんと容量を規定してやればいいんです。ということで僕の場合はストッカーを利用することで、「ここから溢れる分のレジ袋はもう捨てていいな」というマインドを確立。断捨離と省スペース化に成功しました。その他にもちょっとしたお菓子や調味料、缶詰の保存先にも使えます。引き出し部分は追加で一段ずつ売られているので、用途によって好きな大きなのものを買い足してスタックを増やすこともできます。
 ただちょっと難点というか、使い余しているのは、セットについてくるちっちゃい引き出しの用途なんですよね。もともと容量が少ないんでそこは割り切るしかないんですが、背が低い棚は本当に使い道を考えるのが難しい。缶ジュースとか入れるのがいいんでしょうけど、僕の場合缶類の在庫は届いた時点で全て冷蔵庫に入れてしまうので。調味料を入れると取り出しにくいし、うーん。深型だけのセットが欲しかった。まあ、全部バラで買うことも可能なので、用途を見極めて棚のサイズを選んでください。あと思ったより棚の背は低いです。

 

 以上。こんな辺境の個人サイトで書いて、どこに需要があるんだっていう生活お役立ち情報でした。最後に身も蓋もないことを言うと、物を持たなければ収納なんていらないので、基本的に余分かなと悩んだら捨ててましょう。物があればあるだけ、部屋は散らかるし、掃除も面倒になります。とはいえ、結局捨てきれんかったあれこれがあるのが人間ですからね。あなたの人間らしさまで捨てる必要はないですよ。大切なものは適切な箱で保管しましょう。魍魎の匣のように。殻ノ少女のように。多重人格探偵サイコのように。

20201230
 

#121

冬は気分が惨めになる。寒いのが苦手なんです。僕は昔から低血圧低血糖で筋肉量も少なく、極度の末端冷え性持ち。エアコンの温度を高めても、手足の指先だけは凍えるように冷たく、極寒の季節に外を歩こうものなら、靴の中で凍傷を起こしたように足先の間隔はなくなり指先は死体のような紫を示します。雨なんて降れば、もはや生死の問題。最近は、他人から顔色を指摘されることが増えました。栄養失調なのか酒の飲み過ぎなのか、まあ恐らくそのどちらもで、どうやら健康体の人間の顔つきでないときがしばしばあるようで。さらに外が冷えているときや、不眠が出たときは、店を歩いているだけでも店員さんに心配されるように。それが嫌なので、最近はまた軽くベースメイクだけして顔色を誤魔化して外に出かけるようになりました。子供のころ、友人から「夏と冬、夏は脱いでも暑いけど、冬はいくらでも着こめば寒くなくなるから、冬の方がいいに決まっている」という論理を振りかざされたのを思い出します。今だから反論しますが、体内の寒気は何を着こんでも対策できないんですよ。でも、酒を飲んでいるときは血圧が上がるので、そんな僕でも芯からの暖かさを感じることができます。ああなるほど、エスキモーの知恵はかくも有用。しかし体の暖かさを取り戻すと、今度は脳が冷えていく。最近はまた自分が嫌いになってきました。酒に酔うと、自分はこれほど悲劇的な人間なんだ! と主張しはじめる。この文章も、このページも、全て、それだけなんです。前にも書きましたが、僕は断食芸人なんです。同情を誘って、人の目を浴びようとして、何か物語の渦中にあるように錯覚するだけの下賤な芸です。僕なんか本当は悲劇の中にも、喜劇の中にも存在しなくて、だから自らの体や精神を削ってみせて、それで見せかけの一幕を演じて見せる。本当は指先を切った程度なのに。それでいて、自分を救ってくれる何かを渇望するように七転八倒して、最終的には楽な法に逃げていく。自分の依存癖が一番嫌い。酒や薬に中途半端に手を出してみるけれど、それを突き詰めるような覚悟はなくて、ちょっと火遊びで痛い思いをしましたね、みたいな程度で逃げかえってくる。分かったんです。酒や煙草や薬に依存してるんじゃなくて、それで可哀そうな自分を演出できる快楽に依存しているんです。悲劇の被害者であるように自分を仕立てて、何か想いを切実そうに発したり、怒りをぶつけてみたり、それは落ちるところまで落ちた人間の、最後の快楽ですから。怒りや同情を誘うのは明らかに快楽です。脳内がハイになって、すっきりします。そして、精神依存性もとても高い。自己生成できるドラッグなんです。それでいてお金がかからない。余裕がなかったり、貧困であったりする人ほど、このドラッグにはまっていく。インターネットには、このドラッグに飲み込まれた人がたくさんいます。僕も、このソドムの住人です。だからといって、自分とは縁を切るには、もう死ぬしかない。僕はどうにか生き残りたい。生き意地が汚いというより、それを認めたままでは死にたくない。だから僕にできるのは、出来るだけ人と関わらないこと、少なくともこの渇望が表に出ているときは人から離れること、そして自分の中でこの感情をどうにか消化してやること。創作というのはこういう時には有用で、この湿った感情をどうにか変換して文字が書けないかと思う。そういえばBADSAIKUSHもライブ映像でそんなことを言っていたのを思い出す。とにかく、それはもう闘争しかないんですよ。自分との闘争。思えばいつだってそうだった。僕は精神を切り刻まないと文章が書けない。創作と品のない向き合い方しかできない人間ですが、そうならもう血塗れのデスマッチ、これだけは中途半端なしにやりきるしかない。冬は気分が惨めになります。何を着てもどうせ安心なんてできないんだから、服を脱いで、ありとあらゆる場所を切り刻んで、行くとこまで行ってやろう。凍傷の足で、血の止まった指先で。整理がついたら、依存と加害から抜け出せたら、すぐに戻ります。それまでは殴り合いです。最終15ラウンドまで戦い抜けるか、酔った肉体でファイティングポーズを取る夜。

#120

 睡眠薬ODについて書きます。多分、似たような文章が、ネットの気味悪い界隈には無限に転がっていると思うので今更僕が書く必要なんてないんですが、最近ODから足を洗ったので総括としてまとめておきます。
 前段から説明すると、僕はもともと慢性的な睡眠障害持ちです。普段から睡眠が異様に浅く、中途覚醒も度々起こります。更にストレスや鬱が重なるとダイレクトに不眠にくるタイプ。入眠できないのはもちろん、中途覚醒の頻度も増えまくる。ひどい時は5時間睡眠するのに夜中6回起きたりしてました。いくら寝てもノンレム睡眠しかできず、夢の記憶が濃いままに何度も起きたり寝たりを繰り返す始末。つまり実際の睡眠時間に対して、脳の体感時間が何十倍にもなるんですよね。いつになっても夜が終わらない。しかもそういう時に見るのは十中八九悪夢です。脳は休めていないので寝ようとすると、ただただ疲れていくという本末転倒な事態に。時には朝まで起きていた方が早く地獄が終わると思って、結局朝日が出るまで椅子の上でじっと目だけ軽く閉じて過ごした日も。そんな人種に睡眠薬はとても強い味方です。
 睡眠薬、僕もクリニック通いになってからは色々種類を飲んできたんですが、あまり効果の違いには鈍くて。基本的には半減期でしか差別化していません。会社がある日は朝の通勤に車を使うので短期、超短期を選択。次の日休みなら量を増やすか、半減期が長いものを選ぶか。手持ちのストックと相談しながら決めます。よく言われるベルソムラの副作用で出ると言う悪夢はあまり実感はないです。普段から悪夢ばかりなので。それよりルネスタで口の中がめっちゃ苦くなる方が驚いた。
 で、本題はODの話。特にハイプロンです。多分、眠剤に縁がある人なら誰でも知っていると思うんですけど、某個人輸入サイトで買える赤と黒のヤバ色してるあいつです。乱用経験者なら100錠の箱入りのあいつを仕入れたことがあるんじゃないでしょうか。僕もそのクチです。
 実を言えば、ハイプロン導入前はあまりラリったことないんですよね。ずっと起きててクラクラしてくるのを感じたことはありますが、そこまで明確に脳がハックされる感じは未経験でした。そもそもODらしい数を飲めてなかったんですよ。(ゴニョゴニョを除くと)基本的にはクリニックに行って、医者と話して、処方箋もらって、ようやく必要量を手に入れるわけじゃないですか。その手間を考えると、普通に睡眠障害を患っている身としては、大切なストックを一晩の快楽のために消費するのに抵抗があるわけで。でも、オオ◯カ堂はそんな僕の貧乏性を救ってくれました。だって100錠ですからね。普通の使用量ならいつまで経っても飲みきれませんよ。しかも冗談みたいに安いし。これはODするなという方が不自然です。不自然なのか? まあどうせハイプロン使用者なんて8割はOD目的でしょ……という偏見はある。ともかく、不眠が続くと現実感が色々曖昧になって、鬱にもなって……という悪循環。Go/No Goの論理回路はすでに脳から吹っ飛んでいる状態。興味本位で2倍量、3倍量は試してみるもんです。結果として、これがめちゃくちゃに効いた。そもそもハイプロンは自分が今まで試してきた短期型睡眠薬の中でも、1錠で頭ひとつ抜けて効き目がある実感がありました(体質の相性とかあるのかな?)。それを3錠も摂取して1時間もすれば明らかに理性が吹っ飛んで、意識が朦朧としてきます。怪文書をワードに打ち込み続けたり、音楽がすごく歪んで聞こえたり、気分がハイになったり。こりゃ楽しいぞ、と思い知ったが最後、頻繁にODを繰り返すように。鬱の時なんて、起きている間に愉快さを一切感じませんからね。沈み込んでる既存の脳回路を吹っ飛ばせ! と薬による快楽に夢中に。あとキメた日はもちろんぐっすりなので、不眠にもいい。飲む量も少し増え、普段5錠、たまに少し増やす、くらいで安定。全然効かないなーって思って錠剤を追加したりする時もあったんですが、冷静になるともうすでにラリってるんですよね。ラリってると自分がおかしくなっていることに気づかないので、効いてないと感じて薬を追加して、更にラリっていくという最悪なムーブをかまします。余談ですが、僕は酒に酔っても同じで、基本的に酔っぱらえば酔っぱらうほど酒をガブガブ飲みまくる人間です。周囲から見てると加速度が異様で心配になるそう。いつも迷惑かけて申し訳ありません。
 まあそんな感じで摂取量の調整を失敗して次の日の午前を廃人のように過ごすこともしばしば。ちなみにラリってるときの行動としては基本的に音楽を聴いたり、ネットをしたり、まあいつもと同じです。音楽としてはエレクトロ系、チップチューンやテクノ、特に中学時代から大好きなYMOをよく聴きました。あとSteamでインベーダーエクストリームをプレイしたりしてましたね。すぐ死ぬけど。とにかく、いつもと同じ行動をしているだけでもキマってくると次第に音楽がクリアに脳に響きわたったり、インターネットが立体になったり、すごく楽しくなってくるんですよ。ある時はTwitterのTLに“奥“があることに気付いて、みんなに教えてあげようと必死にフリック入力でツイートしたりしてました。もちろん手が滑りまくり、文章も破滅的で、後から見直しても全く理解できず。TLの奥……裏インターネットかな? あとは本棚にある本が歪んだり飛び出したりしてきて、「やばい、全部逃げちゃう!」と必死に体で蓋をしようとしたり、閉じた襖の向こう側に“誰か“がいることを確信して、戸越しに威嚇し続けたり、それらの動画データ(画面真っ暗で音声だけ。カメラを誤作動させたんでしょう)が残っていたり、まあわかりやすく理性が吹っ飛んだ行動を繰り返していました。基本的に部屋の中で完結しているタイプで、決して外に出なかったのが救いですね。確実に職質からの尿検査コースなので。
 そんなこんなで僕も立派な乱用中毒者に。じゃあなんで辞めたのかというと、単純に人に迷惑をかけ始めたからです。勝手にラリってるならまだしも、TLに怪文書を投稿してましたし、決定的なのは、友人が家に来て宅飲みしている日に酔った勢いで普段通り眠剤をガバガバ飲んでしまった事件です。その直前まで別の文脈で3ヶ月ほど禁煙・禁酒をしてまして、それがちょうど解禁になったんですよね。今まで酒+眠剤は本当に過去少量でしかやったことなかったんですが、その日は既に酔っている状態で、いつものOD量をかっこむという最悪のコンボをかましてしまいました。記憶の八割が吹っ飛んでいるのですが、友人たちには大迷惑をかけてしまったようです。その時のラリってる僕の動画を後日見せてもらったんですが、自分のことながらドン引き。攻撃的になるとかじゃないんですけど、なんていうか、生きた屍みたいな動きでフラフラ・カクカクと奇行を繰り広げる様は流石にショック。サークルの相方にも珍しく真面目に怒られて、とりあえず他人に心配されないような生き方をしてくれと説かれました。完全に彼の言うことが正論すぎて、とにかく薬断ちを決意。すいません、書いていて気付いたんですけど、これ典型的な「自分に理解のある他者によって救われる」パターンですね。はてなダイアリーとかでめっちゃ嫌われるやつじゃん。ここで認めますが、僕は友人の優しさによって生かされています。
 決意してからは、その日から薬を全部ジップロックで包みガムテでグルグルに封印をして押し入れの奥底へ。それから一切摂取せず、今に至る。と言う感じですね。また睡眠障害が酷くなってきたら、適正量だけ解禁するかもしれない。いや、酒も解禁した瞬間に大量に飲むようになったし、やっぱ完全に手を切る方がいいかも。悩ましい。生きるって難しいですね。快楽に弱い自分が全部悪い。
 と言うことでもう書くことはないですね。バイバイ、ハイプロン。君がいた日常は楽しかったけど、僕には刺激が強すぎたよ。今は酒ばっか飲んでます。断酒を解禁したらなぜかビールが異様に美味しく感じるようになって、無限に飲み続けています。こっちの方が絶対に健康に悪いと思うんですが、まあ人は往々にして飲酒することに対しては許容が広かったりしますからね。薬飲んでラリってるより、酒飲んで酔ってる方が、まだ人間らしくてマトモな営みに見えるんでしょうね。僕は(一人の時に楽しむという前提で)程々に睡眠薬をODしてる方が他人にも自分にも無害だと思いますけど。お金も段違いに安上がりだし。あんまり薬の健康被害は分からないので適当です。自分の身体については割と雑に扱っていいものという認識で生きているので。でも出来ることなら健康でいたいですね。心配かけたくないし。みんなもODも泥酔もせず、メンタルもフィジカルも健やかに生きてください。説得力皆無だけど。僕よりは長生きしてくれ。
 ここについても、これからはあまり自意識的な文章ばかり綴るのは控えて、ちゃんとコンテンツの話もしていきたいですね。だいたい今までも品のない文章を書き散らかしてるのは酔っているときかラリっている時だったので、やはり私生活を正していくところからでしょうか。

 ちなみに最近読んだとある本では、シェアハウスの同居人がハイプロン200錠飲んだみたいな出来事が書いてあって、本物はマジで“桁“違いだなと思いました。駅前にブロンの大量の空き瓶が放置されている事件の時にも思ったけど、単純に嚥下していくだけで大変だろそれ。

#119

 お酒がやめられません。
 訳あって煙草とお酒を3ヶ月ほど禁止していたのですが、解禁した瞬間にまた止まらなくなりました。というか禁止前よりも明らかに摂取量が増えています。特にビール。昔はビールなんて一杯飲めば満足、500ml缶なんて飲みきらない内に飽きていたはずなのに、今では意識がある間はひたすらビールを飲み続けるほどにビール党へ。一体どういう変化なのでしょう? これを書いている今も、会社から帰ってきてとりあえず3缶ほど流し込んでから、向き合っています。最近は摂取量が1L超えてからじゃないと何も手がつかないくらいに依存しています。太りたくはないので、必要な栄養素を摂るのすら控えて、ひたすらビールのためにカロリーを抑えています。とにかく、お酒に酔っている事実、ビールを流し込んでいる事実に安堵を覚えます。出勤中以外はずっと酒を飲んでいるような状況なので、多分出社しなくなったら、アルコール依存症まっしぐらでしょうね。そろそろ冬休みが来るので、それが本当に怖い。
 更に悪いのが酒に酔うと、煙草が吸いたくなることなんですよね。寒いからあまり頻度は高くないですが、やはり一缶飲み切るくらいに1~2本のペースで煙草も吸います。今までは日に数本程度だったのに、どんどん増えて、最近では会社でも我慢できなくなって、休憩中にこっそり吸いに行くようになりました。俗にいう喫煙所コミュニティが苦手なので、わざと遠くの喫煙所に行くか、コンビニまで出かけてますが。
 とにかく、体に悪いということを理解していながら、自分の体を雑に扱うことがやめられません。薬を辞めたのが救いかもしれませんが、酒の影響はそれを遥かに凌いでいるような気もします。
 なんで僕はこんなに自分を投げやりに出来るんだろう? 考えて、気付いたんですが、単純な話で、僕はもう死んでもいいやって気持ちにとりつかれているんですよね。死にたい、ではないです。死んでもいいや、って諦念。それなんです。
 だって僕はもうこれから先、特にやりたいことも思い浮かばないし、現世にやり残しているような強い後悔もないし、誰かを養っていたり、特別な関係を結んでいたり、何か約束が残っているわけでもないんです。僕はただ、みんなに僕より長生きしてほしいなあ、とか考えているだけで、それって僕がさっさと終わってくれれば叶う願いじゃないですか。
 別に自発的に終わらせようってわけじゃないんです。だから自死を試みることもないし、多分そんな勇気もないんです。死ぬのは怖い。生きるのも怖い。だから、なんか終わらないかなあ、って思ってるんです。そこまで積極的じゃないけど、消える時があるなら、それもいいなあ、みたいな。
 きっと、これからもっと僕は忘れられて、最後は一人になって、それで虚しく死んでいくんでしょう。だから、せめて僕を覚えていてくれる人がいるうちに、忘れてもいいから、あの人消えたんだって認識してくれる誰かがいる内に、終わりを迎えたいなあとか酔った頭でいつも考えています。
 こんなベソベソした、起きて冴えた頭で見返したら絶対後悔するだけの文章を連ねるだけで、缶はいともたやすく増えていく。寂しいって気持ちだけ抱かないようになれば、あとはただ空を見て終わりを待つだけになれるはずなのに。

#118

 恥ずかしながら戻ってまいりました。とりあえず生きています。前にも書いた通りです。死んだように生きているだけです。最近は少し気が楽になってきていたんですが、冬、この寒さ、なのかしら。ここ数日はまたひたすらと鬱々としています。
 色々と限界がきて、連絡を断ったり、SNSのアカウントを消したりしましたが、それでも人と完全に途絶えることは出来ず、少数の人々となあなあの関係性を維持して生きている。それは僕の弱さの証左でしょう。もう少し自分を追い込んで生きていたいと思います。思う、ので、実践していきます。現実では人と会わないようにしてます。そのくせ、こんなところに駄文をまた綴り始めて、何の説得力もないですね。寂しがりここに極まれりです。
 できるだけ人に背を向けるようになって、二か月弱ですかね。色々ありました。といっても前半一か月はずっとめそめそして、薬物を過剰摂取してラリって迷惑かけて、今ではひたすら何かから逃げるようにお酒を飲んで煙草を吸っています。いつも頭では、終わりが来るといいなあなんて思う日々です。終わりっていうのは、死ぬことじゃなくて、よくわからないけど、ふと気づいたら残りページがあと10枚ほどであることに気付くみたいな、そんな物語的な現象です。現実にあるはずないのにね。
 楽しいこともありました。ひっそりとコミティアに参加したり、知人にすごく幸せなことが訪れたり、素敵なお祝いがあったり。だから今こうして僕が続いていることに絶望してません。それに、僕はもう自ら死のうとは思わないと決めているので。なので、死んだように、生きているんです。とりあえず。
 また前みたいに色々な人たちと遊んだり、顔を出したり、先を見据えたり、そんなこともいいなあと考える時もあるけれど、きっと無理でしょうね。僕はただ目の前を小規模に、粛々と生きていきます。そういう人間なので、忘れてくださいね。
 ここには、また不定期に文章を書いていきます。不愉快なものもあると思います。先に謝っておきますね。ごめんなさい。まあ何人がここを見ているかなんてわからないけれど。とにかく、これが僕の等身大です。もう、偽ったり、気を使ったりするのは疲れました。
 それでも、やっぱり文章を書くことだけはやめられないみたいです。気が向いたら何か書きます。僕の想像は、僕を何処へも連れて行ってくれないけれど、それでも僕から飛び立っていってしまうことはありませんでした。まだ右肩に留まって、僕の指をじっと見つめています。せめて最後の自分の価値まで嫌いにならないように、文章を紡げたらいいなとか、思っています。

2020/12/14

#117

一つにごめんなさい。一つにありがとう。
さよならも言えなかった人たちに、当たり前の言葉が伝えたいだけです。
特別な物語なんてありません。特別な出来事なんてありません。
期待しないでください。
多分、これからも死ぬように生きていくだけ。

2020/9/15

#116

​​会う人会う人に、死ぬな死ぬなと言われ続けて、漫画「天」の最終3巻の展開みたいだなと他人事のように感じている。別に死ぬ気はないのだけど、特に目的なく生きるのもよく分からなくなってきて、もうエンディング前か、ただのクリア後コンテンツで時間をつぶしているような気分になってきた。疲れているといえばそれまでだけど、もっと根底に、自分への諦念がある気がする。とにかく色々な人に迷惑をかけているのが申し訳ないと思う。こうやって抑鬱みたいなのをひけらかして気を惹くようなムーブは自分が一番嫌っているのに、いつも結果として計算高いような振る舞いになってしまう。とにかく、放っておいていいです。全て、なるようになる。ただ結果があらわれるだけだと、アカギも言っていた。

​#115

時々、無性に不可逆なことがしたくなる。取り返しのつかないこと。後悔すると分かっていながら、自分が大切にしていたものを勢いで捨ててやる時の快楽。何かを消去すること。何かを突き放すこと。とにかく、自分で「これまで」と「これから」を区切りたくなる。今までのことは全部忘れました。そうできたら本当に楽だと思う。でも、それができない。ある一瞬で本当に断絶することはできない。だから、時間をかけて捨てていくしかない。切り離していくしかない。僕の好きだったもの、僕が嫌いなもの、僕の生活、僕の思い出、僕。そういう時期がまた来ている。

#114

​ セカイ系のローランド「君か、君以外か」

 

#113

 またピアスを開けました。
 鬱鬱していたり、睡眠不足が続いていたりすると、現実感が希薄になってきて衝動で行動しがちになります。
 皆さんも薬を何錠も飲んだ時に、よくわからない通販をかましたことがあるんじゃないでしょうか。
 あれと気分は同じですね。めでたく左耳はピアス四つになりました。これ以上は増やしたくない。でも理性で行動してないことは自制しようがない。精神が安定するのを望むばかりです。

 

 そういえば僕はピアスデビューがかなり遅くて。こういうのって高校・大学の時に開ける人が多い気がするんですけど、僕は社会人になってからでした。
 ありがちな話なんですけど、やっぱりひとつ目を開けるとハードルが一気に下がりますね。前述した通り、落ち込んでいると、つい安易な変化を求めてしまうのですが、その選択肢の一つにピアスが入り込みました。

 そういえば睡眠薬も向精神薬も、飲むまではめちゃめちゃ怖い印象があったのを覚えています。今振り返ると笑えてきますが、それがどうしよもなく不可逆な変化をもたらすのではないかと、恐れていました。
 直近ではコンタクトレンズもそうでした。眼球触るって気が狂った行為だとずっと避けてきたのですが、ついにデビューしました。つけ外しに慣れてしまえば、本当になんてことはない。眼球を触っているといっても、レンズごしに撫でているだけだし……。最初のころのあの怯えようは何だったんだ。

 

 でもそれって、もう全てに言えるんだと思います。

 

 初めて口に運んだ食材を吐き出してしまっても、何度か機会を得るうちに、案外食べれるようになってしまうこともあります。
 僕は手を出していませんが、きっと違法薬物とかもそうで、美容整形も同じなんでしょう。別にドラッグと整形を同じものと言っているわけじゃなくて。

 

 結局なんでも同じなんですよ。慣れてしまえば、"そんなもん"って感覚になってしまうのは。
 

 リストカットも、自殺未遂も、"そんなもん"になっていくんだろう。
 ひろゆきが「誰しもバンジージャンプを一度は経験すべきだが、何度も行くのは勧めない」と言っていたのを思い出します。
 何度も高所から飛び降りることを経験してしまうと、きっと死に向かう恐怖感も薄れてしまうから。
 人は経験で生きている。乗り越えてしまった障害の、それ以前の気持ちはどんどん希薄になっていく。

 

 だから、僕は忘れていくんでしょうね。
 

 ピアスが怖かった学生時代も、煙たくてむせた初めての喫煙も、前日の自分を殺したいくらい憎んだ二日酔いも。
 就職している人間を馬鹿にして、無職の人々に憧れて抜け穴を探していたあの頃も。
 どうしようもなく何かを生み出したくて、初めて物語を完成させたあの夜も。
 誰かと仲が良かったこと、誰かと笑いあってたこと、誰かと別離した哀しみさえも。

 大丈夫、どうせ全部忘れます。

 あなたの中の僕も、きっといつか。

 

 僕らは望まずとも、猛烈な風速を浴びながら未来へ突き進んでいる。
 忘れたくないならば、きっと必死に握りしめて、どうか手放さないように祈るしかできないのでしょう。

 今、僕の手の中には何か残っているのかな。
 手を開いて確認する勇気もなくしてしまった気がします。

 

 そういえば僕はバンジージャンプをしたことがありません。
 だって、どうしようもなく高所恐怖症なんですもの。

 

#112

​ 雨曝しなら濡れるがいいさ

 

#111

 全部終わりにするために創作をしている気がしてきた。

​ 終わるまでは終わらないけれど、終わらせれば終わりになる。

 

#110

 久々に家系ラーメンを食べました。

 男の子にありがちなことですが、僕も類に漏れず生粋のラーメン好き。地元がラーメンのプチ激戦区だったこともあり、学生時代は高頻度で通い詰めていました。

 とはいえ今の住居に転じてからは、徒歩圏内にふらっといけるラーメン屋が少なく、ちょっと気合をいれて出かける必要があるのでラーメンと接する機会も減少。特に家系ラーメンは、どうにも気に入った店舗が見つからなくて、ここ数年は数えるほどしか食べていません。

 でもふと思いついたときに家系ラーメンって無性に食べたくなるんですよね。ごく稀にSOUL'd OUTの曲ばっか聴きたくなる日ってあるじゃないですか。あれと一緒だと思ってるんですよ。毎日SOUL'd OUTばかり聞いているDiggy-MO'中毒の方には申し訳ないたとえなんですけども。

 

 で、家系ラーメンといえば僕にも一つ、変わった思い出があって。たまにスープをすする時にそのことを思い出してしまうんですよ。

 かつてのバイト時代の話なんですが、今日はそれを記したいと思います。

 

(ここからは全部フィクションということにしておきます。一応。)

 学生時代の僕は、ファミレスバイトに精を出していました。高校から大学までの長期間を同じ店舗で働いていたので殆どの作業を覚えてしまい、最終的にはバイトリーダー的な立ち位置まで成り上がることに。とはいえ大学生にもなると日中ずっと勉強やら研究やらをしている必要があったので、もっぱら深夜帯シフトしか入らなくなります。地方都市、皆が寝静まった後、客数なんて知れたものです。

 その頃、僕は3つ歳上のフリーターの子と2人でシフトに入ることが多く、僕がウエイターで彼がキッチンという布陣は、その店の黄金タッグと呼ばれるくらいの実績と信頼を得ていました。平日深夜帯は、ほとんど僕と彼のコンビで回していたのもあり、そのフリーター君は戦友みたいなものですね。以降、「相方」と呼称します。

 働いていた店舗は満年人材不足だったのもあって、深夜帯に好んでシフトを入れる僕と相方は大変重宝されていました。そもそも2人とも人間関係周りは割と器用にこなしており、特に社員がいるときは真面目一辺倒。バイト歴もそれなりにあるので、店側からかなりの信頼を勝ち取っていました。

 他のファミレスはわからないんですが、深夜になると店長や社員も普通に帰っちゃって、クローズ作業をベテランバイトやら半社員みたいなリーダーに任せる日もしばしば。つまり見張る人間のいないスーパーフリータイムが発生するんですよね。

 まあお察しの通りなんですが、長年ファミレスバイトをやりつづけていた僕たちは(悪い意味で)要領の良さを覚えてしまっており、社員が退勤次第、ドリンクバーで汲んだメロンソーダを片手にバックヤードでひたすらスマホをいじり続けるような不良バイターへ急変貌していきました。

 更に相方がスマホアプリ「遊戯王デュエルリンクス」にハマってからはその態度が悪化。仕事する間も惜しんでひたすらランク戦を回し続ける始末。オーダーが入っても、オーブンの前でも、デュエルする手はとまらず。けれども、熟練バイターなだけあってまったく料理の提供時間が遅れないのは流石でした。

 

 そうしたサボり人間パレードにも、共犯者がいました。ラーメン屋と兼業で働いているバイト仲間のおっさんです。

 おっさんは、普段ラーメン屋が休業の火・木曜のディナーに入っている日の浅いバイターなんですが、僕と相方は2人だけの深夜を見計らっては、ラーメン屋の退勤後に店に立ち寄っていました。目当てはクローズ後の分け前。わかりやすくいうと、廃棄食材です。

 おっさんは謎が多いんですが、だいぶ前に離婚していて、嫁の方に子供がいて、なぜかたらふく借金があって、今は借金先の「お兄さん」に住居の面倒を見てもらっており、同じように債務者である数人と狭いアパートに住まわされているらしい。なんだかんだで人並みの生活を送ってきた僕には、想像がつかない世界の住人でした。

 ちなみに相方の方も、まだ若いのに結構ワケありの人生を送ってきたようで、北国からシェフ志望で都内に出たけれど、色々あって借金をこさえて、家族との不仲で実家にも帰れず、付き合っていた彼女の地元に根付いて今に至る、という具合らしい。普段はそれほど口数も多くなく、どことなくシニカルな口ぶりが目立つけれど、とはいえ根はやさしい自慢の相方です。シェフを目指していただけあってとにかく料理が好きで、バイト中にも勝手にキッチンの食材を使ってオリジナルメニューを振る舞ってくれたり。そんな料理をおっさんと僕は冷凍庫前の小スペースで分け合って、これメニュー化できるわ! と笑い合う平和な日々。

 

 そんなある日のこと。いつもどおり相方と厨房でサボっていれば、裏口からこそこそとおっさんの登場。厨房にやってきて、いつもどおり飯の催促かなと思って眺めていると、背負っていたマウンテンリュックから取り出すは豚骨・鶏ガラまみれの謎のペースト。小鍋にお湯を張ってそのペーストを煮込み始めたので、「こいつ、ついに狂ったか?」と相方と様子を見守っていたら、嗅いだことのあるような食欲を誘う香りが、キッチンを漂いはじめます。

それは、家系ラーメンのスープでした。

 語るところによると、おっさんは勤務先のラーメンの味を参考にしながら自分でオリジナルのスープを研究しているようで、ついに納得がいく第一号ができたからぜひ二人に食べて欲しいと、麺と一緒に持ってきてくれたのです。ラーメン大好きな僕らは、唐突に本格ラーメン屋になってしまった厨房にテンション急上昇。さっそく麺も茹でて、三人でがっつき始めます。

「おっさんの働いている店行ったことあるけど、おっさんのラーメンの方が美味えよ!」なんて言いながら褒めちぎる僕ら。別に世辞なんかじゃなくて、実際にとても濃厚で美味しいスープでしたもの。

 

 夢中になって(勤務中に)ラーメンをすする僕らを見て、おっさんは唐突に切り出します。

「オレ、いつか金貯めて借金返したら、自分の店作りたいんだ」

 おっさんは柄にもなく赤面して、自分の夢を語り始めました。

 ——借金を払い終えたら、今の部屋を出てもっとラーメンの研究ができるように一人暮らしすること。色々な店で修行しながら、いつかは絶対自分の店舗を出してみせること。

 

 でも、僕は知っていました。彼が日中働いているラーメン屋の給料は雀の涙ほどで、今は膨れ上がった借金の利息をどうにか払い続けているのがやっとの閉塞状態だということに。離婚した元嫁に払う養育費が捻出できなくて、ファミレスバイトを始めたこと。年齢もあり、ハードワークによって体を壊しかけていること。

 正直、店を出すなんて無謀です。絵に描いた餅です。

 

 でもね、何はともあれ夢のような希望を必要としている人はいるんですよ。

 これは想像ですが、おっさんが夢を話したのはこの時が多分初めてだったと思うんですよね。ラーメン屋にも交友関係がなく、家に帰っても借金滞納者ばかり。おっさんには心の内を明かす人間関係なんて、この深夜の不良バイト二人組しかいなかったんだと思うんですよ。

 

 相方はそれを聞くと「いいじゃん」と応えた後に、「俺もいつかは自分の店を持つつもりだし」と何気なく呟きました。

 僕はこれにも驚きました。普段あんまり自分のことを語りたがらない相方が、そんな秘めている熱情みたいなものを開示するのが、とても新鮮だったからです。

 その頃、相方は相方で彼女が妊娠してることが判明しており、昼間に別の飲食店バイトを掛け持ちしはじめたばかり。彼も(おっさんほど酷くないが)借金持ちであり、これからは家族も養う必要が出てくる。とてもシェフ修行を再開できるような状況でないのは明らかです。

 言動がいつもドライで、リアリストにみえる彼が唐突にそんなことを零したのは。

 ——やっぱりかすかに抱いている希望を、赤裸々に語りだしたおっさんの眩しさに、あてられたのでしょうかね。

 

 僕はそんな二人を前に、紡ぐ言葉も見つかりません。ただ、麺を食べ終えたあとの家系ラーメンの濁った水面をしばらく見つめてから、豪快に飲み干して誤魔化したことを覚えています。

 よく分からないけど、ただひたすら、そんな彼らが幸福になってくれれば良いと、心から願っていました。

 

 そんな夜。ただの僕の些細な思い出話でした。

 

 店を去ってからは、もう誰とも連絡をしていません。相方やおっさんは、一体、今どうしているんでしょう。時折、思い出します。つまみ食いをしながら朝まで働いて、帰りにネットカフェで一時間だけ相方と卓球をしてから帰宅していた、バイト時代のあの頃を。

 年齢も立場もバラバラ、三者三様で全員に共通項もないバイター3人。夢を語り合いながら家系ラーメンを啜ったあの日のことは、振り返るとなんだか奇跡のような一瞬にも思えるんですよ。

 

 

 余談ですが、僕が就職することになり、ファミレスを卒業する最期のシフトの後。

相方に閉店後に呼び止められたかと思うと「俺とデュエルリンクスで勝たないと、店から出さない」と迫られ、まさかの遊戯王原作の最終決戦を再現することに。

 あれも口数の少ない相方からの、別れの挨拶だったんでしょうかね。

 別に原作準拠で死者蘇生を封印する展開もなく、普通にネフティスの鳳凰神デッキで殴り勝ちしましたが。

#109

 某作家の自殺を仄めかすツイートがTLを騒がせていた。原因となった記述を参照すれば、病の進行とともに自身が失われていくことに絶望してのことのようだ。

 人間の肉体には耐用年数がある。創作者とて人間なのだから、いつか朽ちる。しかしそれを「創作能力の限界」を迎える日ととらえる場合、多くの人が寿命より先に「果てる」のではないだろうか。

 年齢とともに物覚えが悪くなった、想像力が衰えたと主張する人間は身近にも多々いるし、年老いて新しいものを享受することを諦めた人間も確かに存在する。外来語の取得は幼いほうが有利であるというのが一般的であるし、プログラマー35歳寿命説なんかも時折話題になっているようだ(これは能力的な限界より、転職の採用年齢なども加味した言説だが)。年齢による脳機能の低下だけでなく、健康の悪化も創作を妨げる大きな要因だろう。脳や心臓といった分かりやすい急所の疾患はもちろん、首や腰、眼などに症状が出た場合も時として致命的な障害となりえる。精神だって、そうだ。

 障害を告白して引退していった創作者も多くいる。その裏で、ひっそりと創作を奪われたまま去っていった人々も多くいるのだろう。消えた、逃げた、などといった言葉で装飾される過去の人たちの中の何割かは、きっとそういった事情が隠されているのだと思う。

 人間は日々摩耗している。そして、いつ何時もファンブルを踏んで能力を奪われる可能性に満ちた世界で生きている。創作しているということ自体が、自身を極限まで追い詰めてしまうこともある。

 現実は残酷だ。そして、時間は有限だ。

 限られた時間の中で、どう闘い、何を残していくか。それが創作の一つのテーゼだと僕は考えている。

 

 G戦場ヘヴンズドアという漫画家を題材にした漫画がある。その終盤、主人公の一人が漫画を描く能力を物理的に失ってしまうのだが、その様子を見た編集長が打ち切りを宣言し、説明としてこんなセリフを吐く

 

 あと二話分が長谷川鉄男のマンガ家としての寿命だからだ。

 

 ひどく非情な言葉に思えるが、それはかつて同じ道を通った人間だからこそ放てる、限りなく誠意のある事実なのだ。作中では、創作活動の光と闇を描きながら、その先にある風景を肯定的に示している。その中で「作者は強い思いを不安定で危険な場所から発信している」とも語られる。それは定期連載のことでもあり、同時にいつ奪われるか分からない闇の中で、精一杯もがき続ける創作者たちのことでもあると思うのだ。

 この漫画の作者(日本橋モヨコ氏)はあとがきでこうも綴る。

 

 たまに、本当にたまになのですが、一瞬だけ、

 この世のほんの一部の実存と構造がわかる瞬間があって、

 それを切り落として描かずにいられなくなるのです。

 

 創作をすることは時として闘いで、苦痛を伴う。そもそも、創作なんかしなくても生きていくことは出来る。その辛酸な境遇を避けても誰も責めることはない。創作なんかせずとも、生の快楽は享受できるはずなのだ。

 それでも、何かを綴ろうとする人間たちがいる。そこにはきっと、価値のある信念のようなものが少なかれ宿っているに違いないと僕は思うのだ。

 だから、僕はこれからも創作を肯定する。同じようにいつか”果てる”僕だから。

 

 追記:練マザファッカーというヒップホップグループがいる。今は大麻で捕まってしまったD.O率いるグループなのだが、その重鎮にbay4kというMCがいた。そのbay4kだが、2019年に脳出血で緊急搬送、半身麻痺という障害が残ってしまう事態に陥った。

 顔面を含む右半身の麻痺障害で、これまで通り喋れなくなった彼は、MCとしてもかなり絶望的な境地だったと想像する。実際、直後の動画を観た時は(明るく努めてはいるが)将来への不安を綴っているのが印象的だった。

 今、彼の活動の一部が自身の運営するyoutubeチャンネルで伺うことができる。一見してみれば分かるが、(障害は残っているものの)発話能力はリハビリによりかなり回復しており、ラップも再開している。それだけでなく、アクアリウムなどといった新しい趣味、生きがいを見つけて前向きに生きているのが分かる。

 そんな彼を見て、僕は本当に、心から救われたような気持ちになったんだよ。

 

 追記の追記:bay4kが脳出血で倒れた時のことを語っている動画がニート東京にあるので、是非視聴を勧める。症状外の格闘が笑えるので。

#108

 夏休みということでKindleの方でもセールがいくつか開催されていますね。
 ということで、僕が今月購入した漫画でも羅列しておきます。

(基本全巻購入)
・覚悟のススメ
・名探偵マーニー
・ロロッロ!
・凪のお暇
・セトウツミ
・ぼっちざろっく!
・未来日記
・ディエンビエンフー ※
・ミスミソウ ※
・阿部共実作品 ※
・死人の声をきくがよい ※
・ヴォイニッチホテル ※
・ガンスリンガーガール ※
・青春のアフター ※
・チェンソーマン8巻
・ささやくように恋を唄う 3巻
・バニー坂
 ※は単行本で所有していたタイトルの、電子書籍買い直し

 現時点で130冊くらいでしょうか。普段より購入数が跳ね上がってます。
 最近は本棚に収納している漫画を処分するために、積極的に電子書籍で買い直しているので、セールが来ると部屋の片付けが捗りますね。なんだかんだで未読だったタイトルもこれを機に全巻買いできたのが嬉しい。シグルイは読んでいたけど、覚悟は読んでなかったので……。
 とはいえこの前は芳文社70円セールもあり、まんがタイムきらら作品を100冊くらいまとめ買いしたばかり。ひたすら詰み漫画が増えていく一方。嬉しい悲鳴をあげております。とりあえず今は名探偵マーニーをぱらぱら読み進め中。やっぱり木々津克久先生の作品はハズレがないなあ。

#107

 こういった「自分はこんなに悲観できるんだ」みたいなことを文字数かけて陳列するのは、ひどく品がない芸だ。辛そうな方が偉い、悩んでいる方が賢い、なんて一切ない。すっきり生きれるほうがいいに決まっている。僕の未熟さを、薄汚い考えを、晒しているにすぎない。僕は断食芸人です。「褒めてください、慰めてください、だって私はこんなに感傷的なんですもの!」、全てくだらない。エサを与えてはいけません。無視して隣の動物小屋でもごらんなさいな。

#106

 ここ数日元気だったのに、気が滅入ることが飛び込んできて、またずっとべそべそしているだけの精神になってしまった。もう、なんだかとても疲れてしまった。何かを好きでいつづけることも、好きでいつづけられないことも。人間と人間は理解しあえない、ならば他者は一種のコンテンツとして受容するのが楽だ。邂逅もコンテンツならば、別離も含めてコンテンツ。そう感じてはいるけれど、どうしたって分かりあえないはずの他者に自分を見てしまう。共感できるはずなんて、勝手極まりないハラスメントの感情だ。それなのに。多分もう届かない言葉を、こんな場所で綴るのはやめようって何度も思ったけど、感情に任せて記してしまいます。僕はまだ君を友人だと思っているし、僕は君にそんな敵意のある感情を向けたことはない。あれは君の勘違いで、僕が憎んでいるのは広範な定義(世界とか)か、僕自身だ。なんて弁明しても、やっぱりあんな言葉が口から出てしまったのは、僕の加害性ゆえで。意図がどうであれ、やはり生きている限り人を傷つけていく僕だった。「幸福を祈っている」なんて空々しいことを繰り返してみても、僕が握っているナイフは外を向いている。人を愛する権利も、人と隣を歩く権利も存在しない。僕は人間が好きで、人間と関わることも好きで、けれども関係がうまくいったことなんか一つもない。いつだって僕が原因で破綻する。今、僕が好きな人たち、僕を近くに置いてくれる彼ら、僕を見ていてくれる君も、いつか僕の言葉、加害性で、離れていくんだって恐怖と諦念で、一人で唸っている。自分の幸福を追求する生き方、事実のみを重視した生き方、自己肯定を高める、他者評価を無視する、多くの人間と薄いつながりを持ちリスクを分散する、どれも理にかなった価値観だと思う。それでも、僕は心の隅の、ベタベタとした温みに引き寄せられて、暗がりでないものねだりを続けるような、気味の悪い生き方を選んでしまう。なんとか前向きに、楽しいことを、いつもそう考えているけれど、僕が向き合う方向はナイフの切っ先でもあるんだ。君が傷つくことがなければいいと願っている。もし不安を感じたら、僕を置いて逃げて欲しい。

#105

 たまたま知人から菓子類・惣菜類を送ってもらう機会が重なって、冷蔵庫に珍しく物が増えてます。季節柄、賞味期限も気にしなくてはならなくて、どうしても普段より食事量が増えてしまう。禁煙をしてから甘いものに飢えていると前にも書いたんですが、ついつい夜に間食してしまう習慣がつきました。こんなに積極的に摂食しているのは久方ぶりな気がします。

 ということで、この機に自分の食事量と体形の変遷について記します。
 

 元来、僕は食に強い関心があり、暇があれば食べているタイプの人間でした。体重もBMI的に肥満を超えたことはないものの、20代以降は平均体重よりそこそこ上くらいをキープ。第一印象ではやや丸っこい体形と印象付ける人種です。(なお、高校時代までは痩せ型)

 それが、社会人2年目の春(去年の春です)を境に急激に減少。最初のきっかけは本格的な鬱の発症と、それに伴う不眠症でした(細かい原因などは省く)。
 ここらへんの記憶は濁っていて大分曖昧なのですが、鬱と不眠は、鶏か卵かみたいなもので、鬱になると眠れなくなり、眠れないと精神が落ち込みやすくなり……と最悪な悪循環。色々あって通院したり薬を飲み始めたりする生活が始まりました。睡眠薬やら向精神薬やらを真面目に飲み始めたのもこの頃な気がします。それ以前の服薬については特に語りません。真面目じゃない感じです。
 ベンゾジアゼピンの恒常的な服薬経験がある方は分かると思うんですが、服用を続けているとびっくりするくらい三大欲求が消えていくのが分かるんですよね。もともと不眠と鬱で薄れていた欲求が、決定的に透明になる感覚。ということで食欲も減退、一日の食事量は半分以下になります。お米を炊飯器で炊かなくなったのもこの頃です。それまでは一日一合くらい食べていたのに。結局、今にいたるまで一年以上炊飯器は使用していません。主食を食べる習慣がなくなってしまった。それでもなんとか栄養をとろうとプロテインを飲んだり、カロリーメイトを摂取したりしていました。
 ビタミンサプリも飲み始めて、なぜか鬱以前より健康に。それでも摂取カロリーは圧倒的に消費量以下のためどんどん痩せていく。平均体重を5kg痩せる頃には、ジーンズを全部新調するハメに。そんな自分を鏡で見ると、かなり理想的な体形になっている僕がいました。図らずもダイエットすることに成功したんですね。僕は、同時に太っていた自分を思い出します。あの頃の自分はなんと醜い体形で生活していたのか。
 肥満とまではいかないまでも、そこそこにぽっちゃりしていた僕は、ふとした時に軽い冗談を言われる機会もありました。「むちむちしてきた」「腹回りが出てきてる」「過去一番で太っている」「痩せてみたら?」当時はなんとも思ってない言葉が、被害妄想的に脳内に繰り返される状況へ(鬱だったのも拍車をかける)。この頃から「もう太っていた自分に戻りたくない」という恐怖感が現れ始め、元に戻ればありとあらゆる人間からバカにされ続けるというせん妄に犯され始めます。
 その結果、毎日必ず体重計にのり、少しでも数値が上昇していたら恐怖心で摂食できなくなるという、拒食症状態へ。今思えば体重なんて水分量で当たり前に上下するので、細かい上振れを気にする必要なんてないんですけどね。
 酷い時には、一日何も食べなかった日の夜、おもいきって油そばを食べるも「凄い量のカロリーを摂取してしまった!」という罪悪感に苛まれて、全て吐き出してから就寝したことも。結局ゼロキロカロリーで一日をフィニッシュ。ストイックです。
 数値という絶対的な基準があるだけに、下方をがむしゃらに目指し続ける毎日。自分で言うのもなんですが、僕は基本的にすごく真面目なので、こういう数値目標が出来てしまうとかなり張り切ってしまうんですよね。例えば55kgを目標としたとき、少し増えた時のことを考えて53kgくらいを保とうとするんですが、次第に53kg自体が目標値に塗り替わって、それを維持するためにさらに2kg下を目指し……とこれを繰り返しているうちにあっという間に「痩せすぎ」域へ。
 いつの間にか痩せ始める前と比べて一年少しで20kg減少という結果へ。もちろん周囲からみても異様な痩せペースですが、なぜか会社では誰にも指摘されていません。あとから遠まわしに聞いた話によると、おそらくセンシティブな部分なのだろうと察した周囲により、僕の体形のことは触れてはいけない話題になっているみたいでした。会社の人たちはいつだって優しい。多少ネタにするくらいでもいいんですが。

 最近ではもう鬱の方でも薬は飲まなくなり(僕が勝手に通院を止めただけですが)、摂食障害もほとんどなくなりました。とはいえ太ることへの抵抗感はやはりあるので、食べたもののカロリーを全て把握する癖は抜けてません。基本的には一日の基礎代謝と同じくらいの量を食べるようにしています。運動消費もあるので、体重は緩やかに減少方向ですが。
 

 いまや理想的な体重も明らかに超えて、気味が悪いほどにやせこけてしまっているので、どうにかマインドを治してせめて正常な範囲の体重まで増やしたいですね。モチベはあるんですが、やっぱりどうしても脂肪がつくことに抵抗はあります。
 運動や筋トレをすれば体重を増やしながら、体形も整えられるんですけどね。僕は死ぬほど運動が嫌い。筋トレなんてまったく意欲が湧きません。そもそも筋肉がついた肉体に一切憧れがないというのが問題の根源な気がします。(筋トレ系のYoutuberを観るのは結構好きなのに)
 とはいえ食べないだけで痩せていられるのもまだまだ若いから。これから代謝が低下していくことを考えたら、運動習慣は大切です。あとタンパク・運動不足による老化も怖い。ちなみに僕は絶対に老化したくないという強い意志があり、日光も極力避けています。夏に出歩くときは日焼け止め&日傘。吸血鬼か?
 ともあれ、今後はなんとか怠惰を叩き直し、運動量も食事量も増やす方向を目指したいなあとか考えています。最近はスケボーの練習なんかをしていますが、これは結構汗だくになるし、下半身や体幹にほどよく負荷を感じていい感じ。
 あと僕は学生時代ずっと大道芸サークルに居たので、ジャグリングとかを再開するのもいいかもしれません。でもアレって公演の目標があったり、誰かと一緒に練習したりするから楽しいんだよな……。リングフィットアドベンチャーか? もうリングフィットアドベンチャーしかないのか?

 

 健康と美容には強い関心があるので、何かいい情報があれば(体重に話題に限らず)ぜひ教えてください。ちなみに今の僕のスペックは大雑把に小宮果穂さんです。小6と同じ体形か……。

 

#104

 シャニマスのコミュを読んでいる時だけは鬱屈としないでいられるんだ。

 ということでシャニの話をします。具体的には少し前に実装された新ユニット「ノクチル」の初イベントコミュ「天塵」についてです。

 先に言っておくと、僕はシャニ初心者で、半年前くらいに芹沢あさひさんに惹かれて初プレイ、そこからストレイライト関係のコミュを漁ったあとにしばらく放置。ノクチル実装で戻ってきて、本格的にハマりはじめ、今は読んでないコミュや過去のイベントの話を開放してちまちま読んでいる感じです。課金もほとんどしてないので、まだそれほどガチャ自体回せてないですね。あ、本家アイマスもほとんど触れずに育ってきました。最近ようやくアニマスを観てます。

 ちなみに好きなユニットは放クラとノクチル。一番好きなアイドルは幽谷霧子さんです。幽谷さんのことを考えているとマジで胸が苦しくなる。ほとんど恋愛的な感情を知らずに生きてきた自分ですが、もしかしてこれが恋なんでしょうか。シャニは非人間を束の間だけ人間に戻してくれる。

 

 話を戻すと、天塵。これがとんでもない傑作で、正直、僕もそれほど少なくはない数のノベルゲームを経験してきましたが、その中でもかなり上位にくるプレイ体験でした。

 内容としてはノクチルのイヤーワン(アメコミ的言い回し)。つまりデビュー近辺の駆け出し時代のお話ですね。

 全体を通じて感じたのは、学校を含めた私生活の描写が多いこと。各キャラ視点での心象風景の描写と、モノローグが多用されていること。そして既存のアイドル礼賛的な文脈から逸脱していることなどが印象的でした。

 ノクチルはメンバー全員が幼馴染という異色のユニットですが、それゆえに「アイドル活動」と「プライベート」が癒着しており、各人の関わりも含めて両者を切り離せはしないんですよね。そもそも浅倉透さんが何の因果かアイドルを始めてしまい、それまで「4人で1つ」だった面々も、「アイドルでなくては今までの4人組でいられなくなる」といった少し歪な感情でアイドルを始めています(このモチベは特に福丸小糸さんが強いですね)。その根源は、彼女たちは幼いころより、浅倉透という突出した個をもつ存在を中心に、漠然とした、しかし他に代替できない「聖域」のような閉鎖的コミュニティを形成していたことに起因します。つまり、古来よりノクチルという4人組は浅倉透という絶対的カリスマをもつアイドルと、その信者的ファンの集まりなんですよね。

 しかし、その関係はアイドルグループとして形を変えたことにより、精神的な変化を余儀なくされます。なぜなら、アイドルというのは本来、他者を介在してこそ存在が許される生き物だからです。お客さんがいて、プロデューサーがいて、ライブや番組の関係者がいる。彼女たちは、彼女たちだけのクローズドな関係性が包んでいたモラトリアム的価値観と、常に対価を求め続ける社会的要請とのギャップを目の当たりにします。

 その結果、彼女たちは初のライブで放送事故を起こし、ネットでは炎上し、業界から干されてしまうのです。この時の市川雛菜さんの発言は、彼女の精神性を強く物語っていると思います。

 

​(ネットでの炎上を受けて)

雛菜「なめるな~とか頑張ってない~とか書かれてるんだって~」

透「え、そうなんだ」

雛菜「らしいよ~知らないけど」

雛菜「覚悟がないとだめなんだって」

透「あー」

雛菜「でもそれ誰のこと言ってるんだろうね」

 

 市川雛菜さんという人物はノクチルの中でもかなり曲者で、その内面まで自分は深く探れていません。しかし、彼女が繰り返し説く「みんなが幸福であることが何より優先すべき」という考えは、「他者理解には限界がある」という一種の悟りによって裏打ちされているように感じてなりません。それが上記エピソードの発言であり、同時に「彼女たちの閉鎖関係に埋もれた本当の輝きは、当人たち以外誰も観測できない」という拒絶にも思えてしまうのです。

 そして、それを顕在化するように、彼女たちの次の仕事が始まります。ロケーションは海辺の花火大会。それも花火が打ちあがる中での、イベントスペースの空き時間の穴埋め。観客は花火に夢中で、誰一人ノクチルを見ていません。偶然通りかがった業界人が~とか、たった一人の少女が~とか、そんな都合のいいことは一つも起こりませんでした。結局、プロデューサーだけが鑑賞する中、ノクチルのライブは終了します。

 しかし、それでも彼女たちだけはそのライブが本当に素晴らしいものだったという確信を各々抱きながら、海へと衣装のまま飛び込みます。ここでも、雛菜さんのモノローグが光ります。

 

 やっぱり思ってたの

 すごいことが起きそうって

 そしたら、誰も見てなかった

 みんな、もったいないことしちゃったね?

 ほんとにすごくて————

 すごく、楽しかったのに!

 

 ここで雛菜さんは唐突に、「みんな」に向かって語り掛けるんです。ゼロ年代に訓練されすぎた猛者はこういう展開があるとすぐにメタだ! と前のめりになりがちなんですが、読めばわかりますが、これはまったくメタ的な文脈じゃないんですよ。雛菜さんが語り掛けている「みんな」は、決してプレイヤーや特定の誰かなんかじゃなくて、「私たち以外の全人類」なんです。今、この瞬間に何よりも輝いている私たち。それを観測できない全人類に、「もったいないことしちゃったね?」なわけです。

 この言葉をもって、決定的に我々とノクチルは、境界線で区切られているんです。神の視点をもって、コミュとしてこのノクチルの輝きを観測しているけれど、しかしプレイヤーも含めて誰一人立ち入れない「聖域」の中に彼女たちはいるんです。確かにプロデューサーはそこに居た。けれど、このノクチルのライブの中で起きた、彼女たちの内面の発火まで観測できたとは思えません。なぜなら、彼女たち自身、「自分自身のための」ライブを遂行することで自分の中に灯った煌めきを始めて観測できたのだから。

 結局、この「天塵」では最後まで、彼女たちの聖域が破られることはありませんでした。お披露目の生放送で失敗して、ノクチルは依然として業界で干されたままです。そういう意味で、彼女たちは本来の意味の「アイドル」には、まだなりきれていません。

 冒頭にも書きましたが、アイドルとは他者からの承認のプロセスが大なり小なりつきまといます。偶像である限り、それは社会的な存在です。しかし、ノクチルにはまだ、他者が介在しない。

 されど、ノクチルはそもそも最初からアイドルでした。浅倉透というアイドルと、そのファンである三人。ミニマルな関係(聖域)の中で、全てが完結しているのです。

 

 これから、ノクチルはどうなっていくのでしょうか。他者を拒絶しつづけることは、不可能です。モラトリアムはいつか終焉するからです。いつまでも4人でいたいこと、アイドルとして中間項と交わっていくこと、その二項をどう折り合いつけるのか、とても気になっています。

 ただ、おそらく社会的な意味での「アイドル」になっていくことを、彼女たち自身は拒絶しないだろうとは思います。今回の騒動を経ても、彼女たちは事務所の所属を止めたりはしませんでした。それに、花火大会の前、小糸さんはこう発言しています。

 

 でも、今日は

 みんなで始めるために、来たんだもん

 

 そして最後に「花火だけじゃなくて、私たちも見ろ」と4人は叫ぶわけです。けして生ぬるいだけの聖域にとどまらず、アイドルとして邁進していくという覚悟、そしてそれでも、ずっと4人で、という意思を感じさせました。

 つづくイベントの「アジェンダ283」はまだ未見ですが、一体これからノクチルはどうなっていくのでしょうか。今後の動向が気になります。

 

 さて、今ピックアップ来ているSSR凛世さんが欲しくて、貯めていた無償ジュエルを放出しましたが、無事爆死したので今日は泣きながら寝ます。ちゃんちゃん。

#103

 少し前の話になるのですが、早稲田松竹で「ラジュテ・去年マリエンバートで」のフランス映画二本立てを観ました。どちらも初見。ラジュテの方は28分の短編、マリエンバートも90分程度なので2本見ても2時間程度の鑑賞時間ですが、これがどちらもすごく衝撃的な体験でした。マリエンバートの方は非常に難解で、語ると長くなってしまいそうなので、とにかく背景と画作りが抜群にキマっていたということだけ述べておきます。あとシャネルも手掛けている服飾。

 それでラジュテの方を主に語りたいのですが、まずこの映画の特徴は「ほぼすべてが静止画で構成されている」ということですね。言ってしまえば、ナレーション付きのスライドショー。そう、つまりは紙芝居です。その上、CGもセットも使われていない。非常にミニマルな作品です。このように低予算な作品にも関わらず、濃厚なSF作品が出来上がっているから不思議なもんです。さらには後の作品への影響力も強く、あの傑作SF映画「12モンキーズ」の元ネタともいわれています。これは余談ですが、セットやガジェットなしに、ただ現実の幻想的な風景や、意味深な構成だけでSFを作ってしまうのは、タルコフスキーを思い出しました。「ストーカー」ね。

 僕がこの作品を観て一番に感じたのは「これってノベルゲームじゃん」ってことなんですよ。特に僕の場合は字幕で鑑賞したこともあって、一枚絵とCVで構成されるノベルゲームをオートモードでプレイしている感覚とほとんど変わらなかったんですね

 思えば、ノベルゲームもしばしば「紙芝居」と揶揄されますが、それ故にノベルゲームの歴史の一端は、一種「紙芝居性」からの脱却、もしくは正統進化だったと思います。いわゆる演出というものにいかに新規性も持たせるか、いろいろなゲームが実験的な試みをしてきました。それは「紙芝居性」から「映画性」への歩み寄りのように感じますが、ラジュテの方は逆に映画から紙芝居の方へ大幅に歩み寄った作品なわけです。それで、ちょうどラジュテくらいの立ち位置にあるゲームは何かと考えてみると、ライアーソフトが2000年代中盤頃に発売した「Forest」とかが近いかなあと。あれも単純な紙芝居からの脱却が試験されており、特にチャプター「Ⅳ 夏至の夜の改賊」をはじめとする音声を利用した既存表現からの逸脱は非常に印象的。決して動的な方向でなく、ミニマルなままに前衛的な作品を作り出す。その精神性がラジュテと非常に近しいと感じたのです。

 

 そういえば僕が松竹に見に行った時は、ちょうどラスト一枚を運よく買えたのですが、チケット発売開始から10分も経ってなかったんですよね。どれだけ人気なんだ、この2作。

#102

 コミティアの話が出たので、たまには同人関係の話もしてみようと思います。日頃、コミティア作家を「地獄詩人ヘルポエマー」と揶揄している僕ですが、これは愛ゆえの冗談であり、普通に参加している時には会場をうろうろして他の方の本を物色したりしてます。人並みには一次創作同人を愛しているので……。

 

 あまり見識がない方向けに説明しておくと、コミティアは一次創作であればなんでもOKな受け口の広いイベントなので、漫画本や小説から、資料系、アクセサリー・小物まで多岐に渡るジャンルが溢れかえっております。漫画本に絞っても、ギャグ・シリアス・ラブコメから直球のエロ・リョナ、ノンフィクション・エッセイまでこれまた多様な生態系を形成しており、初見では圧倒的物量と混沌とした無国籍感に気圧されたり。とはいえコミケと比べたらまだまだ規模の小さいイベントなので、ゆっくり歩いていてもそれほど時間かからずに一通り回りきれるので安心してくださいね。適当にキョロキョロしながら気に入った絵柄や表紙の本を試し読みして、購入本を決めていけばいいと思います。まあ、そうなると必然的に小説本は売れないのですが。漫画島と比べると、創作文芸島は圧倒的に人数や売れるスピードが落ち着いている印象。文芸サークルに来るお客さんなんてリピーターが大半だと思ってます。それ故に一期一会で買ってくれる人には多大なる感謝をしています。

 

 話を変えてサークル参加側の話。ティアも開始から終了までフルタイムで頒布していると、狭いブースの中で6時間近く耐久になるので、やはり他人の頒布物はよい気分転換になります。僕のサークルは相方がいるので、二人で交代しながら会場で気になる本を買ってきては荷物入れにぶっこんで、客待ちしながらパラパラ読んでいます。相方はイラスト集、僕は漫画本ばっか買う傾向。僕は平気でリョナ本も買ってくるので、相方が何も知らずに中を開いて悲鳴をあげる一幕もしばしば。ごめん……。あとは前日の徹夜作業でぐったりして寝てたりしますね。夏の参加時は限界を超えて徹夜作業した僕が、ブース内の劣悪な環境でほぼ失神して気絶寸前で倒れているところをバックに、相方が楽しそうにインカメで自撮りしたツーショットをSNSにあげていた時はこいつマジで人間か? と目を疑いたくなりました。彼は時折、悪意なしでゾっとする行動を普通にする。

 ある時は、相方の恋人の誕生日とコミティアがバッティングして、あろうことか彼はコミティアを優先すると発言。憤った彼の彼女が一緒に行くと言い出して、なぜか朝の集合時に彼女連れで登場。ブース内は2席しかないので、気を使った僕が席を譲り、サークルを乗っ取られた上に延々と会場をさまよい続けるハメになった謎の回もありました。

 あとは僕とまったく面識のない地元の友人(元ニート)を連れてきて、僕と元ニートくんが初対面の気まずさのままブースで過ごすことになった回もありました。これだけ抽出すると相方がマジのサイコパスに聞こえるのでフェアじゃないな。彼はASD傾向があるだけで善意だけで構成されている好青年です。顔もすこぶる良い。ちなみに気まずい数時間を過ごした元ニートとは、今では当の相方抜きの二人で、都内の治安悪い場所巡りをするぐらいには仲良くなりました。めでたし。

 せっかくなので最後に、個人的にコミティアで推しているサークルさんを紹介しようと思います。

・テクノストレス/U-temo

 商業誌でも活躍されているU-temo先生のサークルですね。「もののけ荘のニートども」は僕の青春でした。基本はギャグ・ラブコメ本です。ノマカプも百合も素晴らしいものを連発しており、どの本も外れなしです。どことなくダウナーだったり、ちょっと落ちこぼれているキャラばかりだけど、不思議と明るくて前向きな、読後感の爽やかな作品たち。まさに心の清涼剤ですね。最近だと「平成の方舟」が大好き。

 

・ネコモニ堂/真田

 最近、「おけけパワー中島」でバズり倒していた真田先生のサークル。わたモテ、ガルパンの百合本のイメージが強いのですが、コミティア参加時はオリジナルの百合ものや創作指南本を出したりしております。とにかくキャラが活き活きしていて、読んでいるだけで楽しいんですよね。表情もはつらつとしていて、これほどに「キャラが生きている」と感じる漫画はなかなか見ない気がします。突拍子もない設定だったり、すこしレトロなギャグ世界観だったり、ドタバタコメディ的要素も嬉しい。「マンガ女子寮ギガ!」を読んでくれ。二巻が待ち遠しいです。

 

・ねこかんロマンス/藤咲ゆう

 すば日々本だったりあやかしびと本だったりノベルゲ二次創作も描いていた藤咲ゆう先生のサークル。最近はティアでオリジナルのノマカプ本を出しておりますね。とにかく何も言わずに「シュノーケルはいらない」を読んでください。傑作すぎて、僕は2冊目まで買った。電子書籍版もあるはず。学校や家庭といった場所に見いだせない少年少女たちの、どこか痛々しくも、愛に満ちた繊細な漫画を描かれています。ノベルゲームや邦画、邦楽を好んでいるようで、随所にエッセンスや愛を感じます。フリーペーパーやFanboxのコンテンツ語りも熱量があって読みごたえがあります。

 

・もるもる06/臼野太郎

 断っておくと、ゴリッゴリのグロ・スカ・リョナを書かれる作家さんです。基本R-18G。人間の根源に宿る「生の感情」を描くことにめっぽう優れていらっしゃる臼野太郎先生のサークルです。もう本当にどの本も素晴らしい。キャラ同士の歪だけれども純な愛の描写が、唯一無二なんですよ。勝手に一人で語り倒したいけれど、とにかく(ジャンル的に抵抗がなければ)ぜひとも作品を読んでほしい。まずはそれから。女女の「ずっとつめたい」、男男の「ニンゲンノオモチャ」は特に傑作だと思います。マジでね~~~どっちもね~~~最後の一コマ・一言の余韻や含みがね~~~もうね~~~感無量なんですよ~~~(ガチのファン)。はい、読んでね。

 

 以上です。コミティアに蔓延るヤバいおっさんたちの目撃談集も綴ってやろうと思いましたが、わりと内容が光方面に偏ったので切り上げます。闇の部分はまたどこかでね……。まあとにかく、なんだかんだでコミティアLOVEなんだわね。クラウドファンディングもあるらしいので、協力してあげましょう。僕も中止分のサークル参加費は寄付にしようと考えてます。

追記:ティアにきたら昼は名物のオムソバを食べると満足感が強いです。僕は徹夜で胃が死んでてウィダーばっか飲んでますが……。

#101

 最近生きてて何も良いことない。お久しぶりです。しばらくの間、9月のコミティアに向けて原稿に取り組んでおり、それに伴って色々と退路を断っていました。ここを閉鎖していたのもその一環です。禁煙・禁酒・禁薬も始めました。気軽に不満や苦悩を解消したり吐き出せたりしてしまう場所というのは、やはり創作のモチベーションを下げる気がしていて、逃げ場をなくすことで小説と向き合おうと思ったのです。苦悩も苦痛も全部文章にぶっこんでやる。僕とお前との生きるか死ぬかの戦いだ。でも実際にはパニックと希死念慮が酷くなって、一日中壁にぶつかったり、ベッドで唸ったりして、小説どころではない日が殆どでしたが。とにかく禁酒・禁煙は開始48時間経過までが辛い。運転中にせん妄が激しくなって、お前が生きている意味などない、これから先もずっと無価値だと耳元で呟く声がうるさくなってきて、かき消すためにアクセルを踏み込む寸前でした。理性は強いタイプだと思っているので、ただの妄執だと言い聞かせることで何とか乗り越えましたが、今はひっきりなしに甘いものを食べてますね。別の依存先に移っただけでは。クーリッシュを三本くらい吸って、一日の食事を終わらせる日もあるので、結果として不健康に拍車がかかっています。それでもどうにか9月までは生き延びて、小説を完成して頒布出来たら後はどうでもいいや、生かすなり殺すなり勝手にしてくれというマインドでしがみついていたのですが、コミティア自体がまさかの中止。さらに次回は11月ですが、この状況では次の開催すら不明瞭ですね。それで冒頭。生きてて何も良いことなし。というわけで恥ずかしながら戻ってまいりました。禁煙禁酒は続ける。そもそもなんで僕は本なんて作ってるんですかね。最近は、ただ書きかけで放置していた原稿が残っているから、義務感で終わらせようとしているだけの気がしてきました。そもそも創作なんてしていても、その活動が自分をどこか”良い景色”へ連れて行ってくれるとももう思えないし、結局は自己満足と、惨めで金ばっか食う現実との意地の張り合いの様相ですね。本音を言えば、小説を書くことさえ投げ出した後に、本当に「何も残っていない」自分を認めるのが、怖くて仕方がないだけなのです。報われなくても、誰に届かなくても、出す場所がなくても、書いているうちはそれに縋っていられるなんて、自己救済で自己完結で救いようがない活動だ。まあ僕のことはどうでもいいとして、コミティア自体も経営難らしくて、継続できるか瀬戸際らしい。僕はほとんどの同人活動をコミティアに依拠してきたので、純粋にあの場所がなくなるのは考えるだけでしんどい。いつだってコミティアのあの素晴らしい会場を思い出すことが出来るんだ。隣のサークルの女性にしつこく話しかけるおっさん。向かいのサークルの女性に大声で口説き続けるおっさん。後ろのサークルの女性にセクハラじみた発言を投げ続けるおっさん。マジで最悪だな、コミティア。女性作家を食い物にしようとする悪意から這い出てきた気味の悪い男たちと一緒に潔く潰れてくれや。まあこれは冗談(おっさんが女性作家にしつこく絡んでるのを毎回近くで目撃するのは冗談ではない。さっさと死んでくれ)、コミティアという場所にはやっぱり思い入れも強いし、いろいろな言葉をいただけた場所でもある。ティアがなければ創作活動なんて意地汚く続けていなかったかもしれない。先ほど「出す場所がなくても、誰に届かなくても」なんて言ったけど、実際はいつも心の底で、頼むから誰かに届いてくれよって叫んでる。誰とは指定しないけれど、僕が伝えたいことを理解してくれる「誰か」がいるはずで、一人、一冊、一小節でもいい。何か僕の叫びから持ち帰ってくれよって、泣きながら本気で挑んでいる。今はインターネットについて書いてます。最近の僕は、インターネットで友達を見失ったり、見限られたり、そういうことばかり続いていて、本当に参っているのだけど、その感傷も全部切り売りしてやる。今もあの囁きは止まらない。僕のやせこけた身体を奪い去ろうと、耳元で終わりを誘ってくる。やっぱり僕とお前の戦争だ。敗北すれば何も残せずに汚い姿晒してくたばるだけ。だが、もちろん負けるつもりはない。いつ公開できるか分からないが、近いうちに形にしてみせるし、その後だって無様なままで、良いことなんて何にもないままで生き続けて、下手で独りよがりな文章を書き続けてやる。

#100

何も生産せず、約8か月が過ぎようとしているらしい。本を作っていても、実際のところ何か価値のあるものが生み出せているのかなんて分からないけれど、そんな自分でもまったくアウトプットが出来ていない状態という中空な存在として生きていることには恐怖感を覚えるらしい。結局のところ、僕自身が一番恐れているのは、この自分が「終わってしまった人」になっているという自覚を得ることなんだ。生ぬるい関係性で生活を消費して、ストレスを極力避けた怠惰な日々を繰り返す。楽しいってやつは、本当に虚しいと、よく思う。だからといってストイックにもなれない僕は、本当に惨めだ。よく呪いのように「何者かになりたい」「成したい」という人がいる。他者からの承認の有無なんてところに、自身の価値を一任するのは悲劇だと思うけれど、だからといって何も他者に提供せずに「自分が満足だからよい」という自己完結すぎるところに落ち込むのもなんだかなあという感じで、そのバランスがいつも難しい。とにかく、こんなところに100の駄文を連ねても「友だちを殺してまで。」の一曲一曲の詩の美しさには決して勝らないということです。きっと僕がこれまで関わってきた数少ない知人達の中でも、僕は変わってしまった。壊れてしまった。昔の人だ。と思う人々もいるだろう。まったくもってその通りで、過去なんてほとんど忘れてしまった。もう昔の出来事、昔の人に感傷もそれほどできなくなった。あれほど興奮していた価値観に、あまり同意できなくなってきた。それでも。書いている文体や思考の着地点、伝えたい思い、見える風景は変わってしまったとしても。それでも何かを生み出したい、走り始めた物語を閉じたい、そんな意思はあるんだ。僕はこれまでも、これからも、どこか不連続で、だからこそ、だからこそここから。また次の一歩を踏み出していきたいと思っている。そんな、無神経な生活。

>>#50 - #99

>>#1 - #49

bottom of page