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水銀の落下​​

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#205

この文章は特定の性癖(リョナ)を一部扱います。また、リンク先はNSFWのものが含まれているためご注意ください。

高木さんが好きです。

高木さんってのはからかい上手の方じゃなくて、みんなのお肉こと高木命さんのほうです。
ちゃんと説明するとイラストレーター・漫画家のTNSKさんの作ったオリキャラで、不老不死の女の子。不老不死故に再生機能も発達していて、まあ言葉を選ばずにいうと猟奇的な扱い(いわゆるリョナ)を受けがち
なキャラです。まあ基本的な設定はここを観てください。
高木さんもTNSK氏の書いたイラストから派生して広がりを見せているわけですが、ここでは派生最大大手のおにくやさん氏の高木さんシリーズを主に参照して語ります。(後述のバーチャル版を手掛けているのもおにくやさん氏ですし、供給が続いているのもこちらなので)

それで「おにくやさん」版高木さんなんですけど、原作より「自分の肉を売っている」というカニバル的要素はやや薄く、どちらかというとその体質を生かして性福祉的な活動(というにはあまりにもハードな性癖を満たすための、ぶっちゃけ道具扱い)の面にフォーカスされています。まあ有識者に向けていえば、現代版「まいちゃんの日常」ですね。(余談ですが僕の好きな氏賀Y太作品は「マリア・プロテイン」か「天錘」です)
高木さんはいつもタダ同然の値段で文字通り「身体を切り売り」しているので、それはもう悲惨な目に逢っているわけですが、彼女自身がリョナられたり性的な暴行を受けたりすることに使命感を帯びているので、本人は全てに従順です。
そう言った意味では不老不死の存在である怪物性を露わにしているともいえる(というかもう脳がバカになってる)んですけど、そんな彼女の、ふとした時に見せる笑顔がなんと美しいことか。
人外が時折見せる人間性が、どうしようもなくまぶしく見えて、でもそれ故に「悲惨な姿も含めて彼女を眺めている自分」という構図に胸が痛くなる。
※高木さんの素敵な表情については、こここここことかここらへんを参照。もっとあるので是非、pixivアカウントを漁ってみてください。

これはかなり個人的な話になるのですが、僕はそもそも自己の中でのキャラクターの性的な消費について割合悩んでいることが多くて。

好きなキャラクタをそういう方面で消費することには昔から忌避感がある(実際のところ避けている)し、自分の中でキャラクタにのめりこむため時に実在の人間による性欲というものは非常に大きな阻害要因になるんです。
※これは"実在の"人間による、というのが重要です。まあここでは僕が二次元的なキャラクタへの感情移入をどう扱っているかは詳しくは説明しませんが、例えばいわゆる『処女厨』的な属性は持っていないとだけ言っておきます。
だからこそ生まれながらに「性的に消費される」という意味を(しかもハードに)持たされたキャラが、こんなにも人間として魅力的な一面を見せていることに、僕はどうしようもなく心を揺さぶられてしまう。


それと、もう一つ特筆すべきは高木さんという存在は、作中世界では「共有物」ということです。

誰のものでもないし、だから誰もがひどい扱いを彼女に強いる。そして彼女自身もそれを良しとしているし、その認識が揺らぐこともない。
だからある個人が高木さんを愛してしまって添い遂げたいと思っても、『絶対に』不可能なんです。
一緒に辛い境遇から逃げ出そうと提案しても、高木さんは共有物としての価値認識を自分の中に形成してしまっているからそれに頷くことはない。いや、自己価値というのは解釈として優れていない。
「高木さんは共有物」で、ここはイコールで結ばれてしまっているんです。だからそれは創作が故の破壊することのできない不可侵領域にある理なんですよ。

誰も高木さんを所有できないし、高木さんは今日も不特定多数に奉仕を続ける。
僕は、彼女に触れられない外側で無力感を抱きながら、それでも時にみせるその人間じみたほのかな喜怒哀楽を観測するために、怪物じみた悲痛と快楽の表情を眺め続ける。
これは罰せられるべき態度なのだろうか。もう分からないけれど……僕はやっぱり高木さんという存在が好きなんです。

 

そういえば昔、高木さんが「バーチャル謎肉」と称してTwitterで活動していたことがありました。ほとんどはイラストの投稿やリプ・お題箱でのファン交流だったわけですが、本当にたまに、歌を投稿することもありました。

一度、幸の薄そうなその歌声で古川Pの「Alice」を歌っていて、それが今でも記憶に残っています。


曲の中で繰り返される「きみは一人でいくんだぜ」は、誰にも所有されることのない高木さんが、自分に恋をしてしまった哀れな誰かを想って歌っていたのでしょうか。
それとも不老不死が故にいつかは自分を知っている人間なんて全て朽ちていって——

やがて人々から忘れられ、最初に与えられた意味すら失う日がくる自分に対して?

 

バーチャル謎肉アカウントは凍結されてしまって、今ではあの歌も聴けなくなってしまったけれど。
時折みせてくれた、にししと笑うその顔が、いつまでも陽光に満たされていますようにと願っています。

#204

最近の人生はコンコンコレクター※に全時間を注いでいるのですが

初心者ということで僕に何度も対戦を申し込んで、しかもわざと負けてくれているベテランの方がいて、

その方のおかげですごい数のポイントがもらえて助かっています。


こういう相手のアイデンティティさえ伺えない場における、つまり発展のない関係の中で
親切ができるって本当に美しいことだなって胸が暖かくなる。
暗がりの道先で優しく手を振っていることだけがわかるような関係性、
整理される前のインターネットにあった低解像度のコミュニケーション、
そういうものが大切なのかもしれない。
でも初心者を卒業したら、対戦しに来てくれなくなるのかな。
それはどうしても寂しくて、僕から仲間申請を送りたいけれど、送っていいものなのか。
こういった些細なボタン一つの行動に、この歳でもドキドキできるものなんですね。

 

※きつねをガチャで集めて強くしたり、見送ってアイテムをもらったり、スタミナを消費して探索したりするだけの、テキストメッセージ偏重の黎明期感バリバリなソシャゲです。課金要素は極薄。CVなんてものは存在しません。キャライラストはなんと公募。ボリュームもあってグラフィックも美麗な昨今のゲームに疲れた方、お待ちしておりますこゃーん。

#203

人生(概略版)

[生誕]
・茨城のクソ田舎に産まれる。父方の祖父が立ち上げた車屋(販売・修理・カスタム)で育つ(かなり裕福だった)。
[保育園]
・寺がやってる保育園で育つ。クソ教育のせいで拒食症に。
・また両親共働きのためカギっ子で幼少期からガラケーを所持させられていた。田舎過ぎて駄菓子屋しか娯楽がない。犬に尻噛まれた。

・テリーのワンダーランドにハマりすぎて、親が目の前で倒れて救急車で運ばれてもゲームボーイの画面から目を離さなかった。そのせいで自閉症を疑われた。
[小学]
・小2で車屋破産。夜逃げのように茨城の中央部へ。父方の縁類とはこれ以降絶縁。
・小3から絶望的に金がない家庭へ。なんとか買ってもらったPSPでネット掲示板に目覚める。親の型落ちのPCで個人HPなど開始。なんか賞とか取る。あとかまいたちの夜でノベルゲームや鬱ゲーにハマる。ついでにニコ厨になる。
[中学]

・2ちゃんのオカルト板に張り付いたり、図書館で昭和の迷宮入り事件が起きた時の新聞を読んだりして過ごす、一番いやなタイプの中二病を発症させる。
・小学時代からオタクを隠していなかったため周囲に白眼視されていた(そういう時代だった)。少しずつけいおんやAB!でオタクが増えていったが、性格が悪いためB級映画やホラーノベル、フリゲなどをプレイして心の中でマウントを取っていた(本当に最悪)。あとニコニコで実況してた(地獄)。
・中3くらいでなぜかマイルドヤンキーグループに取り込まれ、ラノベを貸したり、とあるシリーズの解説をさせられたりしてた。傍から見ると当時で言うキョロ充のポジションだが、彼らは本気でラノベに興味を持っていたため(?)実態としては対等に扱ってもらっていて、なんだかんだこの連中といるときが一番楽しかった。
[高校・大学]
・5年制の理系の高校に進む。入学直後、オタク友達を集めてクルー結成。なんだかんだ今日まで続いている。高1~2は連日、この仲間でひたすら騒いでいた。それ以外はノベルゲームとか大道芸とかしてた。
・バイトではまたマイルドヤンキーの先輩・後輩たちばかりで、茨城に生きる限りこれは避けられないのだと痛感した(怖かったけど、なんだかんだ遊ぶと楽しかった)。
・高3~5でクラス分類が変わったが、それまで暴れすぎた影響で新しい環境で完全に痛くてキモい奴として君臨する。僕も反抗して孤高を気取っていたが、ただ痛さを加速させるだけの日々だった。途中から諦めてとにかく寝たふりして日常パートをスキップしていた。協和と順応の大切さを学ぶ。
・大3~大4、なんか小説とか書いてた。Twitterとかで人と繋がり始める。あとはひたすら研究とバイト。
[社会人]

・社会人1~3 薬と酒でほとんど忘れた。20kg痩せた。あとアイドル部にハマってた。
・社会人4~今 このままでは本当にいけないと思い、今後の人生で一切睡眠薬と向精神薬を飲まないと決意する。目的がないままコミティアに出続けていたら友達が出来始める。人生、生きててよかった。

#202

"

C'mon and save me

If you could save me 

From the ranks of the freaks

Who suspect

They could never love anyone

Except the freaks

Who suspect They

could never love anyone

"

#201

【好きなもの】
たまには好きなものを文脈なく散漫に適当に書いたって良いでしょう。

・UNDER COVER 2020AW
本格的に服が好きになった時期のコレクション。いわゆる「蜘蛛巣城」期です。当時、別に現行で買ってなかったけど思い入れがあります。そういうルックってあるよね。
紐で縛れるカーゴパンツは前に買った。作務衣パーカーも買おうかな。あとこの期に出た吊り下げバッグをずっと探してるんですけど、全然二次流通に落ちてこない。くそ~。

・撲殺少女工房
高校の時に「The World Is Yours」を聴いてから好きです。アートワークも良くて、少し前にフィジカルで全アルバム揃えました。というか昔はApple Musicで聴けたのに、いつのまにかなくなってしまった。今な
にしてるんだろう。

 

・コーヒー
ブラック派です。カフェで出されるこだわったコーヒーも、コンビニで淹れて歩きながら飲むコーヒーも、スーパーで買ってきたドリップバッグも好き。缶のブラックコーヒーはあまり好きじゃない。割り切って加糖のを飲む。でもクラフトボスは飲める。ミルを持ってないから家で豆から淹れることはない。
カフェの場合はブレンドの違いを楽しむのも好きだけど、やっぱりマンデリンのストレートが好き。酸味が強いのは嫌い。コクが強くてにが~い深煎りのマンデリンが大好き。
一緒にチーズケーキなんてあったらハッピー。席でタバコが吸えたらウルトラハッピー。

・「コンビニ行ってくるけどなんか買ってくるものある?」という言葉
素敵なコミュニケーションだと思います。人と居るってことの安心感と、その中でも互いが独立しているという境界が感じられて。
でも嬉しくてよく「一緒についてく~」って返しちゃうんですけどね。

・ラットフィンク
中学時代、アメリカ雑貨がすごい好きだったんですよね。Mr.ピーナッツとかビッグボーイ人形とかROUTE66のロゴとかファイヤーキングのマグカップとか、ああいうやつです。なけなしの小遣いで集めてました。
ちょっと文脈は違うんですけど、ホットロッド界隈の象徴みたいなあのネズミも好きです。父親が昔に車屋をしていたので事務所によくカスタム車の雑誌とかあって。そこでよく見ていたのでなんか馴染みがあるんですよね。ムーンアイズとかも。これ伝わる人いるんかな。

・リーサルカンパニー
今ハマってるものです。未知の惑星に行って、そこにあるダンジョンで宝物を見つけて持ち帰る多人数協力ゲームです。
別のところを探索してる友達からトランシーバーの返答がなくなったなーと思っていたらいつのまにか死んでた、みたいな時が楽しいです。
煽りあいとか戦犯探しって、良いですよね。お互い中でお互いが赦されてるって気がして。ザップガンを抱えたまま死んでいくのは許しませんが。

・友達の家に歯ブラシが残っていること
なんだか、暖かい気持ちになりました。ありがとね。……排水口掃除に使ってないよな?

・グラブルVS -ライジング-
今ハマってるものです2(ツー)。格ゲーが出来るマリパくらいに考えとくのが幸せな距離感を保つコツです。あとオンラインロビーがMMORPGみたいで楽しい。
グラブルのことは一切知りませんが、ヴィーラちゃんが好きです。でも顔が怖いからエビフライを持たせるとちょうどいい。何のことか分からない人は僕とグラブルVSを対戦してください。4キャラ使える無料版もあります。
ちなみにメインキャラはローアインです。チャラ男口調が移ってきて嫌だ。

たまに思い出したものがあったら書こうかな。自分の好きなものってよく忘れちゃうからね。

ちなみにパッと思いついた嫌いなものはドイツ車の運転です。上にも書いたんですが実家が破産するまで車屋だったので、両親ともに車にこだわりがありいつも二人ともドイツ車に乗っています(もう金ないのに)。だから実家に帰って運転する度に辟易しています。
この前、母親のミニクーパーを運転したらエンジンの加速がギュンギュンで、ブレーキもギンギンで本当に嫌になりました。僕が普段乗ってるジムニーがトロいのか、ドイツ人が小型車でもアウトバーンで時速200kmとかを出してるのか、本当のところを教えて欲しい。

 

#200

200の文章を連ねるというのはどれほど恥深い行為なのだろうか。

今の僕にはよく分からない。でも、とりあえず、そうなってしまったということだ。

200番目をどうするかは時折考えていたが、結局上手く思いつかなかった。

だから、過去にこっそり毎日書き記していた日記を公開して済ませようと思う。

個人名は適当に隠した。ワードの置換でやったので隠せてないかもしれない。あと普通に特定できる人もいると思う。

問題あったら言ってください。

201からはもっと雑に更新します。

こんな場所で改めていう事ではないけど。

愛しています、みんな。

【不眠日記】

#199

フォーム回答。
質問が来ていましたが、当該の質問内容は伏せさせていただきます。
回答をみれば大まかに質問自体を推察できるとは思いますが、回答内にも記載した個人的信条によりこのような措置をさせていただきました。

【回答】
この質問については回答を非常に悩みました。
その理由ですが、一つは質問の温度感が分からないことです。
もしかしたらあなたが質問内容のような状況下なのかもしれませんし、もしくは僕の素性への単純な興味、それとも更に他の動機があってのことかもしれません。
(どんな理由であれ今回の質問を責めているわけではありません。好きな内容を送ってくださいと書いてありますし、僕が不愉快に思っていたとしたらそもそも回答していませんので)
質問文がシンプルであるが故に、回答が難しい。そんなこともあるわけです。

(これについても、そのことを責めているわけではありません。このような内容で投稿していい場所ですので)

もう一つは僕の個人的信条によるものです。
あまり、質問内容に含まれるものを語り種としたくないというものです。
とはいえ、この信条にはいくつかの細部があり、今回はその中での妥協点を見つけての回答となります。
そのため、端的な文章になってしまうことをご了承ください。

前提が長くなりましたが、回答させていただくと「ある、と思っている」になります。
確証を得ないのは、自分のケースでは決定づけるものがなかったからです。
最終的な結果は知っていますが、質問文に該当するものか、知っている人から証言を聞き出すことができなかったからです。
また、これは一件でなく、具体的な数字は避けますが複数件あり、いずれにしても同上です。

なので、ある、と推察するしかありません。

まだ質問本文には前提条件が一つついていますが、その定義についても自分には悩みどころです。
(これは僕がひねくれているからでしょうかね)
ここでは、現実で関わりがあったなかで、と捉えました。
まあ、そうだったと思ってます。僕は。

少し付け加えると、さらに曖昧なケースもあります。
結果すら分からない、ということです。
これについてはさらに多くの経験があります。
それらしき示唆があった場合は、今回の質問文の結果となったのではないかと推察することはあります。
しかし、直近で推察が外れることが続いたので、まあ分からないものですね。(そして、それは自分事としては嬉しいことです)


重ね重ねになりますが、内容を推定できるような回答になっているにも関わらず、回りくどい文章となっていて申し訳ありません。
こういったことで文章を書くことは、直近でも非常に悩み続けていた件もあって、やはり取り扱いが難しいと改めて感じました。

#198

格ゲーのオフライン対戦会に行ったらプライド全骨折した2022

 

 突然だけど、僕はこのところ格ゲーにのめり込んでいる。

 2021年春に発売されたアークシステムワークスは最新作「ギルティギア -ストライヴ-」である。僕はこのゲームを2021年末頃にハッピーケイオスという中二病こじらせ感満載の追加キャラに心奪われて購入したわけなのだが、ストーリーを一通り眺めた後は、友人と雑に遊ぶ程度にとどまっていた。しかし、この二か月で大きくハマることになったのである。

 というのも、この8月にブリジットという説明不要なキャラが追加された影響で、ギルティギア新規参入勢が大きく増えたのだ。それによりやや過疎気味にも見えた国内のランクマッチ初~中級者域にも連日賑わいが戻ってきており、仕方なく上位ランクに行って初心者狩りを喰らうことがなくなった。格ゲーへ真面目に取り組むには、これとない良い機会だったのである。

 

 ここで僕の格ゲーの腕前について簡単に述べておくが、正直なところ”ズブな素人”と思ってもらっていい。しかし、格ゲーとの付き合い自体はそれなりの長さがある。

 古くは小学生の頃、ゲームボーイアドバンスでスト2の移植を触ったのが初体験である。波動拳というものをどうやって出すのかはさっぱりわからなかったが、バルログという自意識過剰な男でスライディングをこすっていればCPUの体力が溶けていくことだけは覚えた。ちなみに余談だが、この頃の僕の家庭は両親共働きで、稀に日曜に親父だけが休みということがあった。おそらく母親から僕を遊びに連れて行ってやれと口酸っぱく言われていたのだろう。そんな日の彼はダルそうに近くのゲーセンに僕をドナドナしては、僕に千円を渡し自分はメダルのパチスロを打つというのが常だった。とはいえ僕も知っているゲームなんてないから、適当にスト2にお金を入れて、よく分からないままにすぐにお金を消費してしまい、それを親父に報告すると頭を掻きながら漫画喫茶などに再運搬される……というルーチーンがあったのを覚えている。

 

 次の思い出は高校に上がるころだ。友人との付き合いでゲーセンに入り浸ることが増えたのだけど、特にガンダムエクストリームバーサスで奇声を上げることに興味もなかった自分は、隅っこのほうにある格ゲーの一人モードでよく時間をつぶしていた。そこはさびれた場末のゲーセン(水戸サントピア通り近くにあったウィンというゲーセンを覚えている人がいたら、是非話しかけて欲しい)で、「大江戸ファイト」という河童や地蔵やくのいちが戦って最後のフェイタリティタイムで相手の四肢をバラバラにするという、「モータルコンバット」のパクリみたいな珍ゲームが置いてあった。この台は音量設定が常にバグっており、河童のキャラが突進すると「キャキャキャキャ!」という甲高い声を出すのだが、そのたびに僕の聴力が低下していた。それでも、ガンダムエクストリームバーサスというモノリスに集う原人たちが発する金切声の方が圧倒的にうるさかったのだけど。

 通い始めてしばらくすると「ネシカ」という格ゲー筐体が入って、そこにはなんとアクアプラスのゲームキャラたちが戦いあうという往年のエロゲおじさんの同窓会である「アクアパッツァ」が入っていた。僕はカルラやアロウン、愛佳で遊んでいて、よくささらや千鶴さんに乱入されて100円をむしられていた。

 

 大学生になると自分の家がたまり場となっていたのだが、そこでは僕の棚にあるレトロゲームや同人ゲームで時間を無為に消費しつづけた。格ゲーでいえば、アクアパッツァのようにLeafキャラが戦いあう同人格ゲー「The Queen Of Heart」(これを作ったサークルは後のフランスパン、つまりメルブラやUNIの制作である)や、Keyのキャラが殴りあう「Eternal Fighter ZERO」(こっちは黄昏フロンティア。つまり東方格ゲーのところだ)で、これらをへたくそ同士でレバガチャして上達も目指さずにゲラゲラ笑っていた。

 

 長々とよく分からない思い出を書いたけど、つまりは「格ゲーはそこそこ触ってきたのに、そのどの時点でもシステムを深く理解しようとしたり、コンボ練習したり、立ち回りを学んだりという、いわゆる上達を目指す気は一度もなかった」ということだ。

 しかしここにきて図らずも機は熟した。ギルティギアは完全に新規参入の僕でも、これまでの格ゲー歴で一般的なコマンド入力や中段/下段/投げの択があること、不利フレーム/有利フレームの存在など基礎的な部分は多少インストールできている。というかプロゲーマーの試合とか配信を見てるし(いわゆる”動画勢”)。ブリジットなんて軟弱なキャラ目的で集ってきた初心者たちとなら、それなりに良い戦いができるのは明白だろう。というか、無双でしょ、みたいな?

 

 だが、結果はそう上手く運ばなかった。僕はギルティギアというゲームの特徴を大きく見誤っていたのだ。

 

 ギルティギアは、とんでもなく突き抜けて”攻めが有利”なゲームである。簡単に言えば、相手に突っ込んで攻撃を続けた奴が、さらにボーナスをもらえるようになっている。故に、試合中はひたすらにケツを叩かれて「ほら、攻めろ! 攻めろ!」と焦らされるように感じてしまう。そこが罠だった。

 僕が選択したキャラはテスタメントであり、彼(彼女?)は典型的な”待ち・対応型”のキャラなのだ。決して、自分から攻めてはいけない。つかず離れずの距離で、チクチクと相手に安いダメージを蓄積させて勝つ。つまりこのキャラはギルティギアというゴリラの群れに放り込まれた、生粋の陰キャなのである。

 

 僕はそれをうまく理解できずに、ただやみくもに突撃しては海鳥の雛さえも縊り殺せないような貧弱な5P(ニュートラルパンチ)や、工業高等専門学校のガリガリオタクすら膝を折れないだろう5K(ニュートラルキック)を繰り出していた。当然、連日のように恥知らずなカイ使いどもに、ハイスラ……ではなくスタンディッパーでボコられた。やつらは屈強なキングベヒんもスで、対して僕はさながら栄養失調のチョコボだった。

 何かがおかしいと気づいた僕はYouTubeでググり(誤用上等)、ラケットの握り方から出直したペコのごとく、ギルティギアの基礎やテスタメントの動かし方を一から学んだ。

 ロマンキャンセル、バースト、低空ダッシュの使い方から初めて、テスタメント固有の状態異常”ステイン”を利用したコンボやSリーパーからのカラス軌道による上下択、そして最強の武器”前パンチ”(なんと攻撃判定たっぷりで上半身無敵)。

 これらを身に着け初めてから、僕の格ゲー筋力はみるみるうちにバンプアップしていった。BMIアンダー20の虚弱オタクは、いまや一人前のギルティゴリラに進化したのだ。(テスタ初心者向け配信を連日してくれた天帝ワンちゃん、ありがとうな)

 

 それから。

 

 僕は日夜、舐めた突進をかますブリジットや、フワフワ浮いているファウスト、一つ覚えで低空ダッシュを繰り返すジオヴァーナを前パンチで叩いた。叩いた。叩き続けた。相手が浮いた瞬間に6Pを押す反射速度だけなら千葉一番かもしれないほどに前パンチをこすって——

 

 ——その果てに僕はついに10Fに到達した。

 10F。それは僕にとっての一つのゴールだった。

 ギルティギアのランクシステムは独特だ。一本の巨大な塔を模しており、そこに1Fから10Fのフロアが存在する。そのフロア内でプレイヤーはしのぎを削り、強者と認められたらさらに一つ上の階へあがってゆく。ちなみに負けまくると一つ下へ落される。初めたての僕は5F~6Fの実力だった。それがやがて7Fに常駐するようになり、8F、9Fと平均があがり、そして10Fにタッチしたのだ。

 表向きの最上階(厳密にはさらに上に天上界というギルティに前頭葉を削り取られた末期中毒者ゴリラたちのドラッグヘヴンがあるのだが)に到達した僕はといえば。

 

 ——それはもう調子に乗りまくっていた。

 

 そりゃそうだ。各キャラ同士の勝率レートでは圧倒的に下から数えたほうが早いテスタメントというレアキャラで、10F到達。しかも2か月とかかっておらず、それだって週3~4日程度しか触ってないのだ。(だってコミティアとか、スプラトゥーン3とかあったもん)

 つまり自分には才能があって、実力も十分に満ちていると勘違いしていた。

 

 ここまで記述すれば、某所を散歩しているときにゲームセンターで「オフライン対戦会・本日17:00-20:00」のポスターを見た時の僕の反応は見て取るように分かるだろう。

 つまりは。

 

 「いっちょ、分からせますか」、である。

 

 オフライン対戦会の17:00までに急いでアーケード用のデータカード(プレイヤーネームや戦績を登録するもの)を作成し、紙幣を崩して参加費の800円を準備した僕は、早速ゲームセンター内の集合場所に足を運んだ。

 そこでは店員にフレンドリーに話しかけている常連らしき数人と、辺りを見回してソワソワと開始を待っている僕と同じような新参者が一人いた。僕を含めて、ちょうど準備されている台と同じ頭数が揃っているようだ。観戦用のモニターを気だるげに弄っていた店員が開始を告げると参加者はめいめいに参加費を渡し、台に着いた。

 ——戦闘、開始。

 

 ルールは1セット3ラウンド先取で、2セットを先取したプレイヤーが勝者。各アーケード台は配置に関係せず店内でランダムにマッチングするように設定されており、負けても時間内は何度でも参戦可能だ。

 僕はプレーヤーカードを読み込み、トレーニングモードの待ち受けで程よい緊張と共に乱入者を待つ。そして時はすぐに訪れる。

 

 最初の対戦相手は——ラムレザル。

 違法すぎる攻撃範囲や判定の狂った無敵技、なによりも強力な画面端攻め能力(僕を幾度となく台パンへ導いた)を持ち、テスタとの相性を考えるとなかなかに辛いものがあるが、所詮は人気キャラである。オンラインのランクマッチでも幾度となく対戦してきて対策は分かっているし、むしろペースさえ掴めばこちらが択を押し付けて一方勝ちさえ狙える時もある。まあ、1,2ラウンド程度は落とすかもしれないが大きな問題ではないだろうと高を括っていた。

 

 結果は6ラウンド連続敗北の0-2。つまり、完敗。その内2ラウンドに至ってはパーフェクトKOまで決められた。

 ……何かがおかしい。こいつ、強すぎないか? ゲーセンに入り浸っている常連のうち一人だろうか? この時点で既に僕はどこかでこの後の展開を察していたのだけど、とにかく動揺を隠して次の試合に挑んだ。

 次々にマッチングは進んでいった。イノ、チップ、ポチョムキン、ケイオス。代わる代わる、半径数メートルの空間に潜む猛者たちが乱入をしていき——。

 もう十分だろう。結論を述べる。

 僕は3時間のオフラインマッチで、完全なる敗北を喫した。

 全敗、である。

 言葉の通り、全敗だ。

 参加していた全プレイヤーたちに、僕は1セットすらとれなかった。おそらく、40はくだらないだろうセットを、ひたすらに、黙々と、落とし続けた。

 戦いの中で、何かが決定的に間違っていることに気付いた。壁ハメから抜け出せない。2択を毎回負ける。相手の投げが毎回決まる。バーストが対策される。ダメージが安すぎる。あげく、開幕カウンターから何も触れないままに転がされ続けてパーフェクトなんてザマだ。

 「あっ! ギルティギア!!」なんて茶化す余裕すら、そこにはなかった。

 決して、僕のコンディションが狂っていたわけじゃない。そこにいる全員が強すぎるのだ。

 いや。それも正しくない。

 

 僕が、圧倒的に、弱すぎたというだけなのだ。

 

 壁ハメが抜け出せないのは、無用な暴れをしているからだ。択で負けるのは手癖で行動しているからだ。投げが決まるのは怯えて固まっているからだ。バーストが対策されるのは毎回コンボ始動でばかり押しているからだ。ダメージが安すぎるのは、ロマキャンを押せずに攻めの継続がすぐに途切れるからだ。開幕カウンターを喰らうのは焦って無茶に前のめりになっているからだ。

 格闘ゲームの画面内で起こることは、全て理屈がある。

 そして、その全てが。

 ——お前は弱いということを示し続けていた。

 僕はただ、ひらすらに気まずかった。僕がマッチングするということは、ただ作業的にHPを削り取る処理をつづけることを相手に強いているのだ。端的に言って、時間の無駄である。

 でも、僕は台を離れることができなかった。1セットだけでも、1セットだけでも、と見えてもいない希望に縋って、やみくもにマッチングを繰り返した。終わりの時間まで——。

 

 20:00を迎えた時、僕はレバーを握りながら呆然としていた。何かが。何かが溢れそうになっている。でも、それが何かは分からない。

 僕はただ、ひたすらに”何か”をせき止めることに必死だった。

 

 気が付くと、対戦会を終えたプレイヤーたちが台の周りで交流を始めていた。常連たちが和気藹々と感想を投げあっている。新参の僕ともう一人はすこし居心地が悪そうに隅に固まっていた。話しかけるべきだろうか……? しばし逡巡していると、向こうからカツカツと足音が聞こえてきた。顔を上げると、常連の一人がこちらへ向かってきていた。

 なんて会話すべきだろうか。一言目は謝罪すべきだろうか。それとも相手を褒め讃えるべきなのだろうか。そんな苦悩は、次の瞬間で全て無駄であると分かった。

 

「君、ラムレザル使っていた子だよね。強いねえ! またいつでもおいでよ。対戦してほしいから」

 

 常連は、僕の隣の男の子に話しかけていた。僕が初回に当たってパーフェクトをとられたラムレザルは、新参の子だったのである。

 彼は少し戸惑いながらもぽつぽつと言葉を交わして、やがて常連は彼を引き連れて仲間の輪に戻っていき、常連仲間へ紹介をして回った。

 僕は、ただ声もかけられず、その場に一人残されていた。

 

 

 そうやってしばらく一人で棒立ちを続けていると、様子を見ていたのか、観戦モニターで確認していた店員が苦い笑みで僕に話しかけてきた。

「テスタの人ですよね。いやー、ケイオスとか辛かったでしょう。カースついたら何もできませんからね。テスタ-ケイオスの組み合わせ、本当に終わってますよね」

 僕は反射的に「いや」と呟いて、それからふと我に返り「あはは」とただ作り笑いを返して、逃げるようにゲームセンターを後にした。

 

 泥酔のような足取りで駅前の喫煙所にたどり着くと、僕はそのままアスファルトに体育館座りでへたりこんだ。

 酷く震える手で煙草に火を点けて、ぼんやりと先ほどまでの出来事を振り返る。

 

 ——全部、夢みたいだ。

 

 でも、夢じゃない。それは現実だったのだと、自分に言い聞かせた時。

 僕は泣き出しそうになっていた。

 

 そしてようやく理解した。

 僕がせき止めていたのはただの涙なんかじゃない。

 

 それは、ひたすらに「悔しい」という叫びだった。

 

 あの時、僕は店員に本当はこう叫びたかったんだ。

「終わっているのはテスタメントとケイオスの対戦カードではないんです」

「終わっているのは僕の技術なんです!」と。

 

 思えば、人と競うことに真剣になったことなんて、一つもない人生だった。

 学生時代の部活だってほどほどにサボって流していたし、受験や就職だって誰かを蹴落とすなんて意識でやっていなかった。

 ゲームだっていつも友人たちの足を過度に引っ張らない程度で、お世辞にも上手いとは言えない。

 だって、本気じゃないし。

 全部そう言い訳できるように振る舞っていた。

 自分が敗者なんて認めたくはないから。

 

 でも。

 それでも今回。

 ギルティギアストライヴだけは。

 ちょっと真面目に努力してみて。

 

 

 ようやく僕なりに強くなれたと

 思っていたんだけどなあ。

 

 

 

 ダニング=クルーガー効果、というものがある。

 詳しくはwikipediaでググってくれ(誤用上等)。ようするに、ちょっと上達しただけの初学者は全能のように振る舞うが、それから知識を深めていく内に先の道の絶望的な長さに気付いて謙虚になるということだ。端的に言えば、無知の知だろう。

 

 今、僕は切り立った絶望の谷に落とされた敗者だ。

 だが、非常にありがたいことに引き返す道は丁寧に舗装されている。

 簡単なんだ、全部。

 

 「ギルティ、ちょっと遊んでみたけどもう飽きたわ」って口に出すだけだ。

 

 これまでどおり。上手くいく。

 真剣になんてやってないって言えばいいじゃん。ただゲーセン文化を覗いてみただけって逃げればいいじゃん。

 でも、きっと。

 あのとき泣きそうになりながら噛みしめた「悔しい」は本物で。

 あの惨めさは本当に美しいものだから。

 

 

 

 

 だから、僕は。

 今日もアケコンを握っている。

 

 ゲーセンで対戦してくれた方々、手を抜かずに僕を屠り尽くしてくださり、誠にありがとうございました。

 これは皮肉じゃなくて、あなたたちのおかげで僕はようやく”敗者”になれました。心から感謝しています。

 

 ————次は、僕が勝つ。

 

 待ってろよ。

#197

 コミティアが終わった。
 コミティアが終わるとどうなる?
 知らんのか。

 

 精神が荒れる。

 僕は、サークル参加をしたコミティアが終わると、いつも鬱になる。理由は明白だ。小説を世に出してしまったからだ。
 同人誌を出すたびに、毎回、「こんなものを頒布して良かったのか?」という気持ちに苛まれる。それはひとえに物語の加害性にある。
これは「”僕の”物語の加害性」ではなく、一般的な物語全般には加害性があると僕は考えている。物語は人を傷つけうる。だからこそ、価値がある。しかし、自分が加害者になるというのは一つの覚悟が必要だ。
 僕は自分の本を解題することを避けている。だから何か主張を文章に込めていても読み解かれなければそれは霧消するし、逆にとんだ誤解を産んだとしても仕方ないと割り切っている。他人の感想は他人の感性と思考の結末だし、それが僕なんて矮小な個人が意図するモノに納まってしまっているだけなのは、ひどくつまらない。だが、いくら割り切っているといっても、それが人を傷つけたり、退屈させたりするものになるんじゃないかと怯え切っているのも事実なのである。後からその恐怖に屈して一回きりで頒布を辞めた本だってある。僕は覚悟もなければ、徹底的に読者を信じることさえできない。じゃあ、なんで書いているんだろう?
 もうこれははっきり言うんだけど、僕は別に他人のために文章なんて書いてないんですよ。僕の物語でなにか愉快になったり救われたりしたとしても、それはあなたの感性があなたを愉快にした、または救っただけに違いない。その媒介になれたとしたらこれ以上嬉しいことはないけれど、でも僕はあなたのために本を書いたわけじゃない。じゃあ自分の満足のためかといえば、それももう全然わかんなくなっちゃった。なんだそりゃ。
 僕は品がない人間なので神経を削りながらじゃないと文章が書けないし、それが終わっても恐怖に耐えるだけの時間が始まるだけである。
 じゃあ何かを叶えるため? それもない。前にここでも書いた気がするけれど、僕は別に小説家になりたいわけでも、他に文章で飯を食っていく術を探しているわけでもない。まあ、こう書くと「そもそもお前は文章を職にできない程度の実力だろ」という反駁が来るのだろうと脳内が被害妄想に陥っているのであえて書くが、そのとおり僕は文章を職できない人間だ。これは胸を張って言える。ただし、そのことに嫉妬はしてはいないと思うけれども。正直、僕は文章を書くのが異常に遅い。これが多分一番致命的なところだと思う。付け加えれば、そもそも自分の文章が上手いとも綺麗とも自分では思ってないのだけど、それは定量的には難しい話なので主観の域を出ない。あんまりこういうことを言いすぎると、読んでくれたり、面白いといってくれたりする人に失礼だし、僕自身、そんなことをいいながらも自分の文章や物語は嫌いじゃない(ところも多い)。
 結局、ただ創作を通じた他人とのコミュニケーションが怖いだけなんだろう。
 それで、いつかその重圧に耐えかねて、それに殺されてしまう未来も見える。案外、早いところで「あと二話分が長谷川鉄男のマンガ家としての寿命だからだ」みたいに悟ってしまったりしてね。まあ僕の手首は綺麗ですが。
 時に触れて創作者ヅラしたくない、物書き然としたくないと言っている僕が、覚悟もないのに文章を書いてしまうのは、どうして? まあ、どうしようもない承認欲求と、周りの人たちへの羨望と焦燥、そんでもって文章以外での自己表現が分からない/出来ない無能さ故だろう。つまりは強迫神経症だ。でも、だからこそ、身を削って書いたものが肯定的に受け取られると、なんだか救われた気分になったりするんだ。僕は僕の為にも他人の為にも書いてないかもしれないけど、その結果で誰かの感情を動かせたら、それに越したことはないなって。
 まあ、だから僕の文章であなたの感情が動いたらそれはあなた自身による救済で、僕はといえば僕の文章でなくあなたに救われているのでしょう。その間に文章を挟み続けなくてはいけないのは、僕の不器用さです。
 だから僕もせいぜい、決定的な最期まではこのクソったれの文章ってやつと付き合っていくと思いますね。多分。

 

#196

今、自分まで倒れるわけにはいかないというメンタルで立ち続けている。
でもどうしても辛くなって涙が出てきて、少しだけ、少しだけ横になった。
そうしたら、すごく久しぶりにあの人が現れた。
そういえばいつだって苦しい時、最期に頼れるのは自分の中にいた。
起きたら、ちょっと大丈夫になっていた。
また立ち続ける。

#195

犬吠埼マリンパークがいつのまにか閉館していたようだ。


犬吠埼マリンパークというのは千葉県銚子市にある小規模な水族館だ。千葉の一番とんがった部分に位置するその場所は、ちょうど茨城との県境に近くて、幼少期に鹿島に住んでいた僕としては、共働きでとても忙しかった両親がたまの休みに連れて行ってくれた数少ない家族らしい思い出の場所でもある。1950年代に作られたその施設は、20年以上前の幼い僕から見てもみすぼらしい外観をしていて、既に老朽と呼んでも差し支えないような佇まいを見せていた。わざとなのかどうなのか分からないが、メインホールはやけにうす暗くて、入った時から不安を駆り立てるスポットだったのを覚えている。おまけに太平洋を眼前にした崖沿いの高所にその水族館は建てられていて、断崖絶壁を縫って進む県道254号の往路も僕の胸の内をひどく怯えさせていた。


そんな犬吠埼マリンパークをふと思い出して調べてみたところで、2018年に閉館していたのを知った。もう2010年代には客足はめっきり減っていたようで、Google画像検索で出てくる館内写真はさながらLiminal Spaceと呼んでも問題ない様相である。そんな廃墟探索のような検索画像一覧の中で、ふと僕の心を動かしたものがあった。
 

閉館しているはずの水族館の屋外展示場で、寂し気に放置されているイルカやペンギンたちを捉えた航空写真だ。
 

一体、どういうことなのだろう? 調べてみるとすぐにニュースサイトが出てきて、事の真相を知る。どうやら犬吠埼マリンパークの閉館後も、イルカやペンギンたちの譲渡先が見つからず、外界から隔離された水族館の中で人知れず取り残されたままになったのだという。
流石に完全放置、というわけにはいかないらしく。どうやら水族館を運営していた会社が世話を続けているらしいのだけど、管理体制は杜撰なうえに、経営者とも連絡が取れず公的機関が動けない状況が続いているようだ。その結果として、2020年にはついに最後まで取り残されていた一匹のバンドウイルカ、「ハニー」が亡くなったという記事が残っている。

 

僕は動物愛護家でもないし、アニマルライツを唱える人間でもないのだけど、しかし、人間の絶えた人工物の中で、何も知らないままに尽きていったバンドウイルカの生涯に、想いを馳せる。それは人間のエゴが生んだ結末で、そして僕の感傷もやはり人間のエゴでしかないことに気付いていながら。
 

人間の物語は、いつだって人間本位の物語だ。

それでも、思い巡らすことを辞められない僕は、窓に額をつけて、ひんやりとした感触とともに暗闇を見上げる。

 

終末のような小さな世界で今も取り残されている50羽のフンボルトペンギンは、今夜、どんな空を見つめているのだろう。
 

#194

2017年に出した同人誌からの抜粋。

"

あとがき(あの素晴らしかった景色に寄せて)

 昔行った場所の風景がぼやけてうろ覚え。
 昔会ってた友人の顔がぼやけてうろ覚え。
 昔好きだった曲の詩がぼやけてうろ覚え。
 昔永遠だと思ってた感情もぼやけてうろ覚え。

 

 いつのまにか、少しだけ歳を重ねていたようです。誰彼誰何です。

 そういえば『十代はいつか終わる。生きていればすぐ終わる』なんて曲がありましたね。
 今年ももうすぐ終わりそうです。なんだか早すぎるような気もします。

 そういえば、今年初めて昔の故郷に帰りました。僕は小学校の時にワケアリで転校していて、それ以来生まれた土地に足を踏み入れていなかったのです。
 海沿いの道を車で数時間。ひとまず当時通っていた小学校には到着できたのですが、なんと自分の(昔の)家が見つからない。何度も繰り返し登校した道なのに、いざ小学校から昔の下校路を辿ろうとしても、何故か見当違いの方向に進んでしまうのです。
 迷い果てていざたどり着いたのは、よく遊んでいた三角公園でした。
 僕らはいつもここで放課後に集合して、裏にある駄菓子屋で入り浸っていました。言い忘れていましたが、僕の生まれ育った町は、駄菓子屋しか娯楽がないような片田舎なのです。
 懐かしい気分に浸るために、100円を握りしめて、僕は駄菓子屋を目指しました。けれど、それは叶いません。

 僕を迎えたのは、大仰な学習塾でした

 僕らが通っていた駄菓子屋はその名残すらも消え去って、名の通った学習塾に変わっていたのです。


 センチメンタルな気分で、僕は再び昔の家を再び探すことにしました。それは黄色の外壁が目立つ、ラッパスイセンの生えた家です。

 絵本で知ったスイセン。僕があまりに見てみたいとねだるので、母さんが植えてくれたラッパスイセン。

 しばらくの探索の末に、僕はとある一軒家を見つけました。
 それは、外壁が緑に塗り替えられた、僕の昔の家でした。


 花壇はコンクリートで塗り固められて、スイセンは一本も顔を出していませんでした。
 

 そうです。当たり前ですが、この家はもう、僕の家ではないのです。
 同時に、僕にはこの町に戻る場所など、もう何処にも無いのだということを悟りました。
 なんだか、無性に怖くなって、僕はその場を夢中で走り去ってしまいました。そのまま車に乗り込んで、しばらく放心としていました。僕が産まれた町に、僕はもう戻ることができない。
 ぼんやりとしたまま、僕は近くの図書館に軟着陸しました。よく、母さんが週末に連れてきてくれて、奥の休憩所でいちごミルクを僕に飲ませてくれたのを覚えています。
 今でも、まったく同じカップの自販機が稼働していて、そこで僕はようやくこの街の中で一息つくことができました。この町にも、僕の知っている場所が残っていたことに感動して。
 久しぶりに飲んだそのいちごミルクは、記憶の中よりも幾分か甘ったるくて、飲み終わるのに時間がかかりそうです。
 僕が休憩室で一人、いちごミルクをちびちびと口つけていると、幼い兄弟が二人で休憩室に走ってきました。どうやら、母親の本選びに退屈してしまった様子です。
 休憩室には簡単なおもちゃが置いてあって——といってもけん玉や木コマといった昔遊びの類なのですが——とにかくその兄弟はそこからお手玉を引っ張り出して投げ始めました。
 たった二つのお手玉を、不器用に、でも一生懸命、右手と左手を橋渡ししている姿はかわいらしくて。僕も少し混ざりたくなったのです。
 お手玉に自信はあったので、三つのお手玉を楽々と投げていると、その兄弟は素直に関心してくれました。そこから、その子の母親が来るまで、三人で楽しい時間を過ごしました。
 僕は彼らにどうしても尋ねたいことがあったのです。
「ねえ、君たち。ここ、この町が好き?」
 二人ともとても純粋な笑顔で、頷いてくれました。
 そうです。
 たしかに僕にとっては過去の町です。
 しかし、この町では新しい子供たちが産まれ、彼らがかけがえのない時間を過ごしているのです。昔の、この町が好きでたまらなかった僕のように。

 その兄弟たちと別れて、帰路についた僕は、運転席でぼんやりと思ったのです。
 

 僕はもう、ここを訪れることは二度とないだろう。
 でも、この町を嫌いになることもないだろう。
 それがせめてもの、この町で生きていく彼らへの、誠実さになるのなら。

 

 

 ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございます。改めまして、誰彼誰何です。
 時間を重ねて、見えなくなった・忘れてしまった景色も増えました。けれど、これから新しい、素晴らしい景色もまた増えていくことを期待して、生きていきたいと思います。
 ありがとうございました。

"

#193

くるった頭で、ハルメンズの母子受精を聴いています。記憶にはないはずの離愁が、夕方が頭にばーっと広がって、その橙の情景に泣いてしまう。この歌詞に出てくる団地って、千葉は美浜の稲毛団地のことらしいですね。僕はかなり東京寄りなので千葉県民なのに、千葉市側に殆ど行ったことがない。だから、やっぱりそれは想像の中で。夕闇通り探検隊のようにぐんぐんと成長していく密集住宅街で、すり抜けたような陽を浴びて走る少女。その世界はジョルジュデキリコの絵画のような無機質な怪奇さに満ちていて。どうしようもない焦燥感に任せてアテもない疾走にはしるような、そんな不安と心地よさが同居している時間。
今度、夕方の団地を見に車を走らせようかな。

[追記]

Youtubeのライブ映像に良いコメントがありました。

"80年代の歌。
当時の東京の、明るく崩壊に向かうような空気を正確に表現した名曲。
この一曲だけでもいわゆる東京ニューウェーブの存在価値はありました。
ボーカルは純ちゃんのもハルメンズ佐伯氏のもいいんだけど
泉水氏のドラムじゃないとこの疾走感が出てない気がする。"

「明るく崩壊に向かう」、素敵なワードですね。

ニューウェイブ全体に感じる、陽気な不穏さ、それを的確に言語化してくれていると思います。

いいな、明るい崩壊。僕も、鼻歌交じりで、アップテンポで、鼓動を刻んで、決定的な破滅へ向かってゆきたい。

#192

まだ辛くなると、薬のODが選択肢に出てきます。もうとっくに逃げ切ったと思っていたのに。この一年間「選択しない」ことで背を向けていましたが、選択肢にあるということが最も重要な意味をもつということは、ノベルゲームで学んだことですからね。

いまはワインと日本酒をちゃんぽんして、コンクリートの向こう側へ沈んでいます。
ぜんぶ、ぜんぶ、涙に変わっていくね。

#191

“本屋の少し手前の同じ並びには小さな駄菓子屋があり、その前の道路ぎわには朲(にん)になりかけた人柱が一本立っている。植えられてからそろそろ一年近くなる若い男の人柱である。顔は、もはや緑がかった褐色になっていて、眼を固く閉じてしまっている。高い背を少し折り、やや前屈みになった姿勢のままである。風雨にさらされてほとんどぼろ布に近くなった衣服の間から見える両足も、胴体も、そして両腕も、すでに植物化していて、ところどころからは枝が生え、まるで羽ばたいているかのように肩の上まで大きくさしあげた両腕の先からは、ぽつぽつと緑の若芽がふき出していた。木になってしまったからだはもちろんのこと、表情さえ、もうぴくりとも動かさない。もはや心は、静かな植物の世界へ完全に沈みこんでしまっているのであろう。”

佇むひと/筒井康隆

 

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