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水銀の落下​​

過去ログ #131-#160

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#160

女革命ウテナの初見感想-34〜39話 黙示録篇
もうここまできたら、各話感想じゃなくて全話視聴後の総括をします。

・結局「革命」は為されたのか、為されていないのか、解釈が難しい。自分の現時点で解釈では、舞台の革命(世界の革命)は果たされなかったが、ウテナとアンシーという閉じられた関係が決定的に変容したことを指すのならば、彼女は確かに革命を起こしたといえるのではないかということ。
・ウテナの言う「王子様」はやはり他者=お姫様を志向していて、それこそが「ごっこ」なのだと思う。それは最後まで変化することがなかった。
・暁生(元ディオス)もお姫様を志向する王子様の成れの果てで、アンシーが魔女になり、暁生は王子様でなくなった。お姫様と王子様という構図にあり続けるかぎり、ウテナは暁生と変わらない=王子様ごっこから脱せない。
・そしてウテナは最後に至るまで王子様ごっこをしつづけたから、魔女としてのアンシーをずっと理解できていなかった。
・棺=卵の殻=学園=暁生の部屋。彼らの求めていた永遠とは、成長しないこと=全ては大人が用意した舞台の中で演じ続けること?
・結局、ウテナはその舞台を破壊することも、真の王子様になることもできなかったが、最後にアンシーを理解しようとした結果、舞台から飛び降りることになった。
・ただ守るべきお姫様でなく、呪いを受ける薔薇の花嫁(魔女)であることも含めて、アンシーという個人を理解しようとしたことで二人の関係性は大きく変容して、そしてアンシー自身も変化した(革命された)のだと思う。
・舞台は続くし、決闘も続く。世界は革命されなかった。しかしアンシーは歩き出した。学園の外へ。

・それ以外(他キャラ)についても、ラストまで観終えた後だと印象が変わる。各キャラの構図は、その全てが狭いコミュニティの内側へ志向されている。学園という舞台が、社会性を阻んでいる。全ては卵の殻の中。
・ウテナとアンシーが「外」を開いたことで、唯一の大人だったはずの暁生があんなにも子供らしく見えてしまうとは。
・初回視聴は基本的にストーリーを追うのが精いっぱいだったけれど、脚本は一つのレイヤーでしかないと思うので、演出や音楽にも示唆されていることは沢山あるはず。
・漫画と劇場版はそれぞれ内容に変化があるようなので、解釈を助ける手段というより、また別のコンテンツとして楽しむのが吉ですか?

 

#159

少女革命ウテナの初見感想-25〜33話 鳳暁生編

​観ながら色々羅列してたんですが、整理するのが疲れたので印象的な回についてまとめました。


25話
・暁生「暁の明星。暁生っていう僕の名前は、この星からついたんだ」
・ウテナ「星の話をしている時の暁生さんて、いつも寂しい目をしてるんだよね。なんか、大事なものをなくした人みたいな」
・暁生=暁の明星=ルシファー(堕天使)という提示。過去に何かを失っている?
・暁生は結局、世界の果てなのか、王子様なのか
・西園寺先輩の求める「永遠」は友情だとして、矛先と思われる冬芽の性格を考えるととことん報われない人だな……

26話
・幹「気に入りませんね。君たちの為にとか言う大人は、大抵信用できないもんです」
・幹「だって、大人じゃないか」
・ミッキー。対面は落ち着いて大人らしく見えるけど、実際には作中人物の中でも特に大人への不信感が強いんだよな。というか、潔癖のように見える。
・梢「周りが全部汚れてたら、自分も汚れるしかないじゃない。自分も汚れて、欲しいものを手に入れるしかないのよ」
・対して、梢は一歩悟った(諦めた)ような発言が目立つ。

28, 29話
・凄い回すぎて、言葉が出てこない。
・瑠果と樹璃と枝織の全てがこじれてしまった関係性、濃密すぎて頭おかしくなる。
・瑠果「樹璃、彼女は愚か者だ。自分の作った奇跡が、誰かの犠牲の上に成り立っていることに気づかないのだからな。だがそんな奴が、奇跡を手にする。理不尽だと思わないか樹璃!」
・瑠果も樹璃も、決して届かない想いを胸に秘めていて、だからこそ自分の願いを奇跡に例える。奇跡を奇跡と思わない枝織は、それを与えたモノにも振り向かずに、目の前に注がれた幸福を謳歌する。自己犠牲をする者たちの、どこまでも報われない運命。

33話
・ぼくからいうことはなにもないです。

 

#158

 人が注目を浴びるために「かます」ことについてずっと考えています。きっかけはTwitterのスペース実装に際して。スペース、盛況ですよね。日夜、絶えずTLの上には紫のサークルが輝いて、自分が怠惰に時間を浪費している間にも誰かが弁論を振るっているのを否が応でも意識させられます。このスペースのビッグウェーブに乗って、アルファやインフルエンサーと呼ばれる人々も積極的に交流の場を開いているわけですが、そうなると目をつけるのは名声を求めるハングリーなユーザーで。悩み相談や質問募集、フリートークの場に我こそはとリクエストを飛ばして、誰よりも目立つために「かまして」やろうと乗り込んでくるわけです。僕はもうこういった「かまし」を見るのが非常に苦手で、どんなに好きなアカウントがスペースを開いていても、そういった「かまし」が発生しうる場を覗けない。思うに、それは自分の隠したいが隠しきれない一面を、「かます」ユーザーたちに見出してしまうからなんですよね。僕も少なくない承認欲求があって、先に認められているビッグネームな人から小さくない反応を引き出して爪痕を残したい、なんて気持ちも確かに抱いていたりするのです。でも僕自身は自分のそういった面がとんでもなく嫌いで、いつだって必死に抑えている。抑えきれない時もあるけれど、それでもそれを自覚して押し留めようと苦労しているわけですが、それを見事に自己反省もないように最もたやすく「かまして」見せる彼らには、羨望と羞恥が入り混じったベトついた感情を覚えてしまうのです。でもね、大切なことだとは思うんですよね、「かまし」って。そういった欲求があることを認めて、外聞なんて気にせずにどんどんかまし続けられれば、それは一つの成果への道になるんですよ。そりゃね、はっきり言えばそんなやつ、僕は大っ嫌いですよ。他人がお膳立てした場に上がって、俺って異端じゃないか、俺って変わった経歴だろう、俺って優れた洞察力じゃないか、ほら返答して見ろよ、などと喧伝してるのは、シンプルにダサいと思いますよ。他人のスペースに突っ込む時間で、自分でコミュニティを形成してスペースを主催したり、その時間でコンテンツ消費したり勉強したりモノ作ったり、そういう努力してる人の方が圧倒的に好意的です。でもそんなコツコツやってたって、遅々延々とフォロワーが増えないケースばっかりじゃないですか。特に、この大インターネット時代、発信者飽和の時代、いかにセルフプロデュースとして自身の広告を打てるか、に尽きると思うんですよね。だからこそ、すでに数字持ってる人間がいる場所に行って、大いにかましてやるべきなんですよ。売名万歳。大切なのは、最後までかまし続ける度量ですね。自分に酔い続けられる奴が最強。だから、みんな、かますときは大いにかましましょう。それで、僕みたいに羞恥心や自己嫌悪、自意識ばかり見つめて、人前に出れない(or出たくもない)日陰の人間は、地下室へ篭りましょう。何も出来やしない癖に、腹を括って「かまし」の場に上がった勇気あるものを指差して嘲笑するのが最も愚かで惨めですから。大切なのは、分相応に生きて、棲み分けることなので。
 それはそれとして、普通に身内でわいわいスペースやってるのを聞く分には楽しいですよね。音声コンテンツは好きなので、そういうストレスフリーな場には積極的に覗きたい。地下室は地下室でロビーが必要なんです。

#157

少女革命ウテナのリアルタイム感想-14〜24話 黒薔薇編
リアルタイム感想といいながら、アップするのを面倒くさがっていたら既に全話見終えてしまいました。ただし、書いている文章はちゃんと視聴当時のものです。話別に書いているけど、内容量には大きく差がありますね。

14話
・アンシー、お兄さんと、というかデュエリストじゃない人とどんな会話するんだろう。
・根室記念館、単語だけは知っていた。にゃるらの昔のブログ名なので。
・ウテナがオーバーソウルして牙突すると確変、学び始めたぞ。

15話
・ミッキー、やっぱ好きだな……。
・ウテナ「妹にとってお兄さんとは」暁生「普段は気にもしないし役にも立たない。でも時々見上げて心安らかになったりする」
・↑この質問、兄側にするんだ。
・梢にとってミッキーは見れば見るほど心が荒れる要因になってるので、兄妹関係ではアンシーと対比的? (梢もミッキーも、どちらも潜在的な過干渉になっているせいで機能不全)
・最後の描写を見るに、先のセリフはもっと根源的な感情を意図しているな。ミッキーと梢の兄妹にも共通する、根底にある信頼の感情のような。
・むしろ「今夜も心安らかにさせてあげよう」とか言い出す暁生の方が、疑わしいな?

16話
・ウテナ、生徒会と仲良くなりすぎ。しかし、この空気感いいよね。
・ウテナのギャグ回、全体に調和していて変に浮いてないからすごく好きだ……。
17話
・月村了衛脚本回だ。
・樹璃の心境は結構難しい。なぜ「奇跡を否定」に至るのか。
・ラストの樹璃の独白「何故私は強くなれないのだろう」
・枝織への本心の吐露、ひいては結ばれることこそ彼女の言う「奇跡」であれば、その届かない気持ちを秘めたまま捨てることができない弱い自分との決別=奇跡の否定を願うのか? 手に入らないのならいっそ。しかし現実として彼女はその気持ちを抱き続けることを選び、そして本心では奇跡を想い続けている。
・枝織「分かったからよ。私の方が強いって」=常に恋愛は愛される方が有利で、樹璃の気持ちに気づいてしまった。もう昔のように近くにはいれない。

18話
・自分が大人か子供か悩む(その違いが分からない)ウテナ。自分を大人であると疑わない七実。対比的に、劇中で最も子供らしい(未分化の)ウテナの、無垢で純粋な一面が見える。
・大人である理事長代理は「歳をとると輝きを失う」といい、七実は「大人になんてならなくていい」という。でも石蕗はその断絶に疎外感を覚えて、より大人になろうと願う。
・石蕗「大人になって世界を滅茶苦茶にしてやりたい」。大人は世界を滅茶苦茶にできる、していいものだという、子供目線での勘違いと願望が表れている。
・ウテナのことを「経験積んだ大人」とみなすの、初等部である石蕗だけだろうな。そう考えると作中でも珍しい役回りだ。
・ラスト好きだな〜。あのワガママ女王の七実が、さらに子供であるツワブキの成長を感じて、しっとりした一言いうの、彼女自身のちょっとした成長を感じる。

19話
・闇堕ちそっちかーい
・風見達也が根室記念館に受け入れられなかった理由、もっとちゃんと時間かけて考えるべき事由な気がするんだよな。「世界を革命するしかない」という言葉を解釈するヒントが含まれている気がする。

20話
・西園寺先輩が情けなさすぎて面白い。ギャグ枠が板についてきた。
・劇として「脇役」を割り振られている当人の感情にフォーカスした回。学園がまさに「舞台」であることを再認識させられる。
・若葉、ずっと心のどこかでウテナへの羨望があったんだろうな。
・黒薔薇篇、ほんとラストが良い……。

21話
・さらっと復帰する冬芽くん
・うーん、18話で多少成長したかと思ったけど、七実は相変わらず横暴すぎるな……。
・恋愛の持つ恐怖面を書いていた回。
・アンシー「好きな人のためなら、それ以外の人への感情なんて問題じゃない。自分なんていくらでもごまかせますから」
・恋愛のためには自分すらも殺せる、これほど強い感情は他にない。

22話23話
・解題&解決編。
・終わり方怖すぎだけど、かなり好きだ。
・結局、根室教授も世界の果て=暁生? の道具だった。
・黒薔薇篇のテーマは「永遠」。思い出によって人生を変えようとした人々、すぐに散ってしまう儚さに耐えられず永遠を求めた人々。
・上記解釈だと、香苗が黒薔薇に見出されて、風見達也が拒まれたのは理屈付かない気がするので、もっと考えを詰める必要がありそう。

24話
・まさかの七実総集編。愛されてるな。
・西園寺センパイしかり、七実しかり、やっぱり回が進むごとに愛らしく感じるんだけど、この二人が劇中でも精神性が幼い部類なので、成長する子供を見ているような気分になるのかもしれない。

 

#156

" そのとき私は深い考えもなしに、この家が建っている辺りについて、彼女に尋ねました。切り拓いて住宅地にできるのではないか、と訊いてみたのです。
 すると彼女は眉をひそめながら、こう答えました。
「あの辺の土地は昔から悪いので、地元民なら絶対に家なんか建てませんよ」
 そういう場所に、私と息子は暮らしています。
"

わざと忌み家を建てて棲む/三津田信三

#155

 Peace(つまりは色々な人への私信、宛先は自身も含まれます)
 自分は何者でもないって自嘲する人間たちにうんざりしている癖に、別に何者にもならなくたっていいだろうと怠惰に這いつくばろうと決めた癖に、色々な人を見て劣等感や嫉妬で卑屈になってるのは大体深夜のこと。死にたい季節は終わりかけているけれど、特にやりたいことはねーです。でも正直、最近は気が楽です。生活や人間関係はちょっとマシになって、好きなもんだけ目を向けていられるから。何度も繰り返したように、可哀想なやつ、苦しんでいるやつが偉いってのは嘘だ。だから、何も罪悪感なんて抱かなくてもいい。でも自分の現状を肯定する声を聞くと(それは自分の口から出る時も、頭から出る時も、稀に他者なんてことも)後から卑屈になってしまうことがある。こんな自意識をぶちまける場を作ってから、一年以上過ぎてるって、どうかしてるよ。自己否定をするための演習場だったはずなのに、今は現実と変わらずにヘラヘラしながら、自虐を装って、たまに躁転したように自慢気になって、自分の本当にクソみたいな部分が全部出ているじゃねえか。一人になるって決めて、のこのこ戻ってきて、またいつも通り愛想笑いして、何がしたいんだって、もう何もわからん。僕は多分、結局、人が好きだ。でも、それは自分のためなのか、相手のためなのか、切り分けできない。本心から他者のために献身的に接したいという無理な理想が湧いてきて、でも結局は全て自己保全のための偽善に裏返ったりして、こんな人間に人と関わる資格があるのって、そもそもそんなところで潔癖みたいに悩んでる時点で幼稚なんだよな。とにかく僕が最悪な人間で、近づいてきてくれる人のことほど傷つけるっていうことは分かってるので、全ての関係は適切な距離を保つべきなんだろうなって、もうこれは繰り返し過ぎてそろそろ学んだ。本当の愚者は経験に学ぶのにも時間がかかるんだよ。だから、人との関係を明確に規定するのは苦手です。家族とか、友達とか、恋人とか。そんなルールで規定しなくても、お互いにちょうどいい感じに生きませんか。僕にとっての何か、あなたにとっての何か、いちいち確認しなきゃいけないのは怖すぎる。でもそれでも一丁前に友情とか愛情とか感じたりするんだよな。名前はないけれど、そこに確かな感情はあって、それだけ信じていたい。ここで筆が止まった。締める言葉が見つからないので、あとは思いついたことを書き連ねる。とにかく、最近ずっと考えているのはやっぱり君のことで、どうやら思い切った行動をしたみたいで、ここ一週間続報がなくて、寝られているのか食べられているのか心配です。こと日本において、生き死にまで直結するほど困窮することはなかなかないと思うけれど、それでも気が気で仕方ない。困ったら頼って欲しい。できることは少ないけれど、できることはしたい。それはそれとして、その行動については尊敬する。結果がどうであれ。生きような。それとずっと姿が見えなかったあなた。ほとんど関係を持ったことはないけれど、僕なんかより遥かに意欲的にコンテンツを消化して語っていて、勝手に勇気づけられたりしていた。最近別の場所でちゃんと生きているのを知ったので、少し安心した。自意識に向き合える君に憧れる。僕は弱くて、いまだに何も結論がつけられないから。ネガティブなことを言って消えてしまったあなた。僕はあなたの作品がずっと好きでした。もしかしたらアカウントを消してしまった遠因が僕にあるんじゃないかと勝手に勘繰って、申し訳なく思っています。人の好き嫌いはそれぞれにあって、それがしばしば尊敬する人と合致しないのが世界の難しいところだと思います。分かった風に俯瞰している僕が、自分でもムカつくな。とにかく、好きでした、と勝手に伝えたかった。あと、やっぱり遠くへ行ってしまったあなた。今でも好きです、どこかで笑っていてください。他にも色々な人、あの酷い時期、僕から勝手に関係を絶って消えてしまった人、いつの間にか消えていた人、裏切ってしまった人、いなくなっていた人、もうどこにもいない人、いつもそういう人たちのことを考えたりする。考えたくないから忘れた人もいるけど。とにかく、僕は生きてます。何でも自分が悪いように低姿勢でやり込めるやり方は卑屈だって思うから、すぐに自分の生き死にを人質のように持ち出して極端に走るのは卑劣だって思うから、まあこれ以上は何も言わないんですけど、どうか幸福で。僕のことは適当に呪ったりしといてください。こっちは起こることに身を任せます。くよくよして、めそめそして、嬉しいことがあったらうきうきして、まだ人間としてやっていくんで。

 

#154

 好きな映画は何か? と問われる度、優柔不断な自分のこと、その答えを決めるのに延々と逡巡するのであるが、その実、いつも真っ先に頭に浮かぶのは決まって「ハロルドとモード」であったりする。狂言自殺を繰り返す厭世的な青年のハロルドと、破天荒で生命力あふれたモードという対比的な二人のラブロマンスである本作は、一応アメリカン二ューシネマと位置付けられている。だがその象徴的なラストはニューシネマの陰鬱なそれらとは異なり、モードを喪ったハロルドが彼女との日々を経て人生への新たな一歩を踏み出すように再起を予感させる心地の良いものだ。僕はこのモードという女性に非常に憧れている。彼女は齢80にして非常に活動的であり、さらにその言葉一つ一つが示唆に富んでいて、その人生経験の豊富さを裏打ちしているのである。そんな彼女は劇中で、死んだように生きるハロルドにこんな教えを説く。
"「一日一個新しいことをするのよ。それが生きるってことだわ」"
 毎日一つでも新しいことができれば、一年で365の新しい体験を得ることができる。それらは日々を彩り、人生を豊かなものにしてくれるだろう。美しさとは年齢でなく生き方であることを体現する彼女らしい考えだ。話は変わるが、僕は極稀ではあるが「あなたは豊かな人生を送っていますね」と言葉を向けられることがある。僕自身の目線からすると、それは大いなる勘違いというか、ほとんどの時間を無為に過ごしているのであって、誰かに言うような劇的なことなんてないし、それなりでもない、何とも物臭な日々なのであるが、そんな中でも少しだけ新しいことを探すようにしているのは確かだ。新しいスポーツを始めるとか、知らない分野を勉強するとか、そんなに大仰なことでなくたっていい。食べたことのない料理を味わってみる、通ったことのない道を使って帰る、他人のプレイリストを覗いて知らないバンドの曲を聴く。そういった何でもない新しさが、僕みたいな何でもない人生の、多少の装飾にはなってくれるんじゃないかと期待して。だらだらと書いたのだけど、とどのつまり何がいいたいかというと、さっきコンビニで今年初めての冷やし中華を買って、人生で初めてからしを投入して食べてみたら、これが何とも美味。何故今まで冷やし中華にからしを入れてこなかったんだろうと後悔するほどだったので、皆さんも冷やし中華を食べるときはからしをたっぷり入れてみてくださいと、そういうことなんですね。

 

#153

 今、少女革命ウテナを初見で観ています。気まぐれにリアルタイムで感想を書いておいて随時アップしていくことにしました。リアルタイム感想って、テキストサイトの醍醐味感ありません? 僕が個人的に、一時期夢中でガンパレードマーチの攻略記録を読み漁っていたせいか? そういえばゲーム実況者・配信者のrevinさんが太古に運営していた個人サイトの罠学(Trap School)でエロゲプレイ記録とか読むの、凄く好きだったんですよね。ウテナ終わっても、他の作品でやるかも。ちなみにイクニ作品はピングドラムしか観たことありません。

 とりあえず1~13話(生徒会篇)までの所感。

・とにかく姫宮アンシーの心情がつかみ取れないことによる不気味さが怖い。11話が顕著で、決闘者のトロフィーとして徹底的にモノ化されて映る。自我あんのか? 基本は真面目でお淑やかに見えるけど、実は成績が悪いんですね。しかもミッキーに勉強教えてもらってもパラパラ漫画を描いて遊んでいるという。ちょっとここだけ浮いてる描写だけど、これはミッキーは決闘の勝利者ではないので芯の部分では一切関心がないという描写なのかしら。

・友達が欲しいと言ったアンシーに対して、「アンシーには僕が必要なんだ」とまで言い切ってしまうのはウテナの直情的で独善的なところが見えている。ミッキーも過去のトラウマの解消という、至極個人的な目的でアンシーを妹に見立てた上に所有を画策していて、この二人はつくづく似たモノ同士だな。だから仲良いのかも知れない。
・結局、アンシーが独立するためにウテナが必要なのでなくて、ウテナが王子様を続けるための庇護欲を満たす器としてアンシーが必要だったということかな。ウテナの「王子様」は他者を指向している(お姫様があっての王子様)のは、アンシーを奪われた後の展開でわかるんですけど、冬芽に関してはまだ底が見えてこない。
・そもそもウテナは王子様に憧れて彼の恰好を模倣しているけれども、それを支えるのはそれを超えるお姫様願望でも在る。自分を乗り越える王子様を見つけるための、男装だった(12話樹璃の指摘)。13話で明らかになった「自分」の決闘という意味は、それを乗り越える闘いということかな。今後のウテナの心情に要注目ですね。

・しかし、アンシーがキスするとピカピカ光ってDXディオスの剣になるの面白いな。

・冬芽再戦時のアンシーの心の声怖過ぎない?(勝てるわけないのに。早く終わらないかなあ) ミッキー回の決め手が、信じていたアンシーがウテナへ声援したことだったけど、立場が逆転するだけでこんなに恐ろしいのか。本格的にアンシーの自我の有無が疑問になってくる。

・冬芽くん、ウテナに一回負けただけで一時の海馬瀬人みたいに廃人になっちゃうのかい。

#152

 3, 4月コンテンツ続き。

・映画 23本
 ガールズ&パンツァー最終章 3話
 県警対組織暴力
⇒「仁義なき戦い」と同じ監督・役者陣。ただ、各陣営の関係が目まぐるしく変化しない分、仁義~よりエンタメとして分かりやすく作り上げられていますね。ヤクザ映画初心者にも安心しておすすめできます。もう少し踏み込んで語ると、仁義なき〜シリーズの斬新さはヒロイックなヤクザ像からの脱却だったと思うんですけど、今回のヤクザはオールドスクールに仁義と面子を貫くヒロイックな存在として位置づけられていましたね。ここもエンタメ面の強化している要素だと思います。とはいえラストは無力感のあるエンディング。この感触は窪塚が主役をしていた「狂気の桜」を思い出したり。この作品が終わった後amazonが「若おかみは小学生」を勧めてきたんだけど、死亡事故つながりですか? ちなみに僕が好きな仁義なきシリーズは「広島死闘編」と「代理戦争編」です。
 JUNK HEAD
⇒外連味マシマシのクセの強い世界観重視作品……に見せかけたド王道のエンタメ作品でした。序盤こそ「頭の変化」と「記憶の変化」という二軸の交錯があって、世界観や旅の行先がぼかされていたのですが、後半にかけてすごい勢いでスッキリまとまっていき驚きました。でもそのおかげで物語の目的がはっきりして、大きな魅力であるキャラやアクションに集中できましたね。主人公の困惑の追体験で惹きつける前半と、キャラの魅力を掘り下げる後半でわけてシフトしたのはすごく上手い手です。全体的なストーリーラインも俯瞰するとシンプルで、ユートピアとされる高度次元で”死の摂理“すら失ってしまった主人公が、サバイバルが日常の原始世界を観光することで死の、そしてその表裏にある生の実感を取り戻すというもの(ラストの「今が一番生きているという気分なんだ」という前向きな発言に集約されている)。最近気づいたんですが、僕って長い大河構想の中間として切り抜かれた設定の作品が好きらしい。ジャイアントロボOVAとか、ナイトメアアナボリズムとか。
 劇場版機動戦艦ナデシコ
 パームスプリングス
⇒コメディ路線ループものですが、こういう書き味でいえばハッピーデスデイシリーズの方が上手かったかなあと。あっちはループからの脱却以外に、殺人犯との対決という別の軸もあってそれらがお互いによく調和していて飽きなかった。結局、解決法もハッピーデスデイ2ですしね。
 SUMMER OF 84
 インスマスを覆う影
 スカーフェイス
 フットルース
 HANA-BI
 キッズリターン
 あの夏、いちばん静かな海
⇒たけし映画再視聴の波が来ていた。どれも傑作ですよね。なんであんなに「童心」を描くのが上手いんだろう。3作品選ぶとしたら「ソナチネ」「あの夏、~」「菊次郎の夏」です。
 8 1/2
 リベリオン
 プリンセス・プリンシパル クラウンハンドラー1話
 ヱヴァンゲリヲン新劇場版 序・破・Q・シン
 スカイクロラ
 キサラギ
 狂い咲きサンダーロード
 ゴーストワールド
⇒オルタナコミック原作ですが、映画版ではストーリーラインにラブロマンスの追加があり、それに伴って作品の方向性、特に「ゴーストワールド」というタイトルの解釈が変化していたように感じます。原作コミックでは「幽霊の街で生きること」を描いていて、ここでいう幽霊とは大衆的で消費社会的、刺激のない退屈さ。少女二人はこの退屈の街に対抗して破天荒に振る舞っていくが、やがてレベッカの方さえその「幽霊」に取り込まれていく無情感が、イーニドを通して描かれていました。そして街自体が幽霊であることを示すように、街中に描かれている「GHOST WORLD」のグラフィティ。対して、映画版では街自体に荒廃や過疎表現は一切無く、どちらかというとそこに生きる市井の人々にコミットできないティーンエイジャーとしてのイーニドの孤独が描かれます。新しい生活を夢見るレベッカとも、内向的で趣味の世界に生きるシーモアともすれ違い続け、どこにも居場所を見出せなくなった末にどこに行くかも分からないバスに乗り消えていくイーニド。(イーニドにとって)幽霊のような人間たちと生きること、その実、誰よりも幽霊のような私を自覚すること。どこまでも相互不和の物語でした。中心となるのは街でなく、イーニドの主観になっており、「GHOST WORLD」のグラフィティが登場しないのはそもそも映画では街自体は幽霊でないからなのでしょう。

・漫画 112冊
 ひゃくえむ 全5巻
 嘘喰い 全49巻
⇒好きなギャンブルtop3は「ババ抜き」「ラビリンス」「ファラリスの牡牛」「エアポーカー」……いや、3つに絞れなかった。好きなキャラは弥鱈立会人と箕輪さんです。まあ箕輪さん、どうみても矢沢栄吉なんですけど。
 賭博黙示録カイジ 全13巻
 賭博破戒録カイジ 全13巻
 賭博堕天録カイジ 全13巻
 TOKYO TRIBE
 金剛寺さんは面倒臭い 全7巻
 地獄色
 進撃の巨人 全34巻

・ゲーム 3本
 オーバークック2
 プリズマティカリゼーション
⇒PSのループを題材としたノベルゲーム。攻略が分かりにくい・時間がやたらかかるなどネガティブな要素が喧伝されているが、システムを理解するとどっちも苦ではないですね。時折思うんですけど、一部PSのゲームって大袈裟にネガキャンするサイトが一定数沸いてて腹が立つんですよね。なんちゃらカタログ@wiki、お前のことだぞ。まあスキップで毎回待ち時間が発生するのは確かなので、退屈になるのは事実。でもPS版lainの苦行を乗り越えている自分からすればなんてことない。いや比較対象が極端か。物語はループものなんですけど、ミソなのはヒロイン攻略ごとにプレイがリセットされるので、同じループ世界で複数ヒロインの救済をしているわけではないところですね。基本的に最後の最後までループに主人公が無自覚だし。文章としては元長柾木感があります。……主人公が淡々としていて、すぐ哲学の引用をするところだけといえばそれまでですが。まあでもラストの時間の飛び方とか、かなり「Sense Off」味を感じますよ。システムは「あの素晴らしき をもう一度」に代表されるサークル自転車操業の作品のANOSシステムに近い(登場はプリズマの方が先)。水晶がループ&世界操作の鍵になっていたり、記憶を持ち運ぶことで分岐が起きたりなど。でもさらに大元にはYU-NOがありますからね。アップデートの系譜が見て取れる。しかし改めて思うのは、繰り返しゲーとしていかに「グノーシア」のプレイアビリティが優れていたかということ。時代を経ているとはいえ、あのノンストレス具合はすごかった。
 うさみみボウケンタン
⇒評価の高い同人ゲーム。うさ耳少女にセクハラしながら異世界を冒険するdlsite的抜きゲー……と見せかけて、後半からはしっかりとしたSF展開。道中、敵との戦闘も何故かクイズゲームの応酬なのですが、一応この辺も理屈づけされていたり。5時間くらいの作品ですが、最後までしっかり楽しめました。同じサークルから同世界観の精神的続編のような作品も出ているみたいです。

 その他:週2~3くらい触ってたApexシーズン8はゴールドで終わりました。まあ満足。最近はFF14も始めました。MMOなんてやるのはメイプルストーリー以来です。

#151

 2021年3月、そして4月の消費コンテンツ。面倒くさくなってきたので、2か月まとめて列挙します。

 例によって長くなりすぎたので分割です。

・本 13冊
 ノーライフキング/いとうせいこう
 あいたくてききたくて旅に出る/小野和子
⇒昔から民俗学的なイメージに興味があります。幼い頃から都市伝説や怪談を調べるのが好きで、さらに中学時代に「木島日記」を読んだことで加速。口頭伝承の研究所や、松谷みよ子の現代民話考シリーズを買い集めるなどしていたこともあります。この本は、そんな民間伝承を集めるために地方各地を巡って収集してきた小野和子さんが、その時々にあった現地の人々との交流を懐古するエッセイです。和やかなエピソードの中でも、小野和子さんが何よりもその土地と住人、そして土着する民話に真摯であることが伺え、「口頭伝承とは」「語り手の心境」「収集家の在り方」という民話に携わるにあたっての彼女なりの哲学を丁寧かつ簡潔に記述しているのが素晴らしい。何よりも、昭和後期の集落とそこに生きていた人々の記録が、民話と混ざって綴られる様は、読み手の郷愁的な感傷を誘います。作中で紹介されていた水上勉「鬼のやま水」も取り寄せてパラパラ読んだのですが、こちらも良書。苦みのある書き味で、ほの暗い昭和事件史的な講談を陰のままに手渡してくれます。

 夢幻の街/石井光太
 東一局五十二本場/阿佐田哲也
 マリ&フィフィの虐殺ソングブック/中原昌也
 人間はどういう動物か/日高敏隆
 遺伝子 親密なる人類史(上)/シッダールタ・ムカジー
⇒生物としての人間に興味が出てきました。おすすめ教えてください。とりあえずサピエンス全史?
 氷の海のガレオン・オルタ/木地 雅映子
 夏と冬の奏鳴曲/麻耶雄嵩
 煙か土か食い物/舞城王太郎
 戦国自衛隊/半村良
 壁/安部公房
 アンデッドガール・マーダーファルス(1)/青崎有吾
⇒吸血鬼、人狼、フランケンシュタインの怪物、さらにはホームズやルパン、オペラ座の怪人などなど、古今東西の名キャラクタが実在する19世紀で、首だけとなってしまった不死身の少女が体を取り戻すべく各地を巡っては、事件に巻き込まれる……というストーリー。執筆時点で最新3巻まで読了しているのですが、この全世界の名作フィクションごちゃまぜ世界観は最高ですね。映画のヴァン・ヘルシングとか、あとアラン・ムーアのリーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメンが近い設定ですね。ファンタジー+ミステリという組み合わせだと、最近では屍人荘の殺人シリーズが近いですか(3巻目待ってます)。ミステリといいつつ、王道ライトノベル的な書き味が強くて、戦闘描写も長め。しかしオタクはやっぱり幻影旅団が好きなんだなあ、とつくづく思います。

・アニメ 88話
 プリンセス・プリンシパル 全12話
⇒元々気になっていたので、劇場版公開に合わせて視聴。アニメシリーズのルパン三世に近い味を感じます。お気に入りキャラはベアト。話は6話と10話が好き。劇場版はよりスパイアクション味が重視されていて満足の出来でした。
 ウマ娘 S1, S2 全26話
⇒王道スポ根ものとして傑作すぎませんか。特にS2後半の展開は、ガルパン劇場版初回視聴時並みに泣いてしまった。関係ないのですが、知人に「アグネスタキオンが好きな奴は、一生アグネスタキオンみたいなキャラ好きって言い続ける」と言い放ったら、それから数日その言葉を考えこんでしまうくらいパンチラインが決まったみたいです。そんな僕はアグネスタキオンが好きです。
 機動戦艦ナデシコ 全26話
⇒劇場版が見たくて視聴。女性陣のヒス具合が精神に来て、前半は見るのがかなり苦痛でした。2クール目からの展開はなかなか面白いんですが、個人的には劇場版が突出して傑作に感じます。というかテイスト違いすぎて別作品ですからね。料理人であることが一種のアイデンティティだった主人公が、本編ハッピーエンド後に脳をいじられて味覚失わされて復讐に狂うって、何?
 ホリミヤ 8~10話
 ミッドナイトゴスペル 全8話
 SK∞ 全13話
⇒なんか全体的に懐かしくなるテイストですよね。オリジナルアニメとして1クールでまとまっていてとても面白い作品でした。まあ、結局印象に残ってるのは、ラスボスが放つスケボーで相手をぶん殴るだけのトリックもクソもない卑劣技なんですけど。それ、許される世界観なんだ。

#150

”「地球がまだ平たい板で四頭の白象に支えられていると考えられていたころ……、世界の果、それは当然極度に密度の拡散した周辺地帯と解釈されていました。しかし、現代、地球が球体になってこのかた、すっかり事情が変わったのはみなさんも御承知のとおりです。すなわち、世界の果という概念も、むしろその言葉のもつニュアンスとまったく逆の相貌を呈してきた。つまり、地球がまるくなったので、地球の果は四方八方から追い詰められ、そのあげくほとんど一点に凝縮してしまったのですね。お分りでしょうか? もっと厳密に言えば、世界の果はそれを想う人たちにとって、もっとも身近なものに変化したわけなのです。言いかえると、みなさん方にとっては、みなさん自身の部屋が世界の果で、壁はそれを限定する地平線にほかならぬ。現代のコロンブス的旅行者が船を用いないのも、うべなるかな! 真に今日的な旅行くものは、よろしく壁を凝視しながら、おのれの部屋に出発すべきなのであります。」”

​壁/安部公房

#149

 起きて昨日のテキストを見返してその恥ずかしさで死にたくなったけれど、でもちゃんと気持ち悪い長文を残せて満足という気持ちもあります。そういえば「キラ☆キラ」で恋人を失った主人公は、その過去と決別する時に「僕はきっと大丈夫になってしまった」と独白するのですが、今は少しだけその意味が分かりますね。語弊を恐れずに言うと、僕は「人にとって他者はコンテンツのひとつでしかない」と考えている節があり、それならばやはり別離も含めてのコンテンツなのですが、それはそれとしてさよならばかりの人生に無力感を覚える夜もあります。結局のところ明日を生きていくために#わすれてしまうわたしたちなわけですが、その中で僕が一つだけ守り抜いていることは、あの素晴らしい過去たちを否定しないということです。人間関係はたやすく変容して、その人への好感と憎悪は瞬く間にひっくり返るものですが、しかしどんな別離があれど、あの日々にあった出来事までケチをつけて後から否定して蓋をするようなことはしない。なんて、いつまでも過去にこだわってじめじめとしている僕らしい、勝手な言い分なのですけれど。正直、やり直したい関係なんてもうほとんど残ってなくて、僕はやっぱり忘却の空の下に厚顔無恥に生きているわけです。……いや、本当は未だに引きずっていることも一つ二つありますね。現実で関わりあった人々よりも、インターネットのみで繋がりのあった人々との別れの方を、何度も反芻してしまうのはなぜでしょう? なんにせよ、永遠でない僕らは、ただ目の前の関係に生きていくしかない。だから、愛は元気です、いつでも。

#148
 2021年、4月29日。今日、一人の女性を見送った。
 2018年5月にデビューしたバーチャルYouTuberグループ「アイドル部」の一人、金剛いろは。その卒業配信が終わったのだ。

 最後の配信から、僕はここに何度も長文を書いて、消して、頭をひねって、この気持ちをどうすれば残せるのか分からなくなって……やっぱりシンプルに行こうと決めた。今思ってることだけを、思うがまま、散文的に連ねる。後先なんて考えない。だから、きっと凄く恥ずかしくて、図々しくて、みっともない文章なんだ。でも、今しか書けない感情だから。

 ……何に謝っているのか分からないけど、とりあえずごめんなさい。

 

 僕は、デビュー当初からこれまでずっと彼女の軌跡を観測しつづけてきた。僕はただひたすらに、彼女の放つその輝きを見つめていた。
 改めて言葉にするのも恥ずかしいけれど、僕は彼女が好きだった。初めて、本当の意味で人を好きになったと思う。彼女の発する言葉が好きだった。快活に笑っているのが好きだった。だから、彼女が楽しそうに暮らしている世界が好きだった。そう思わせてくれる人だった。
 これまで、僕はリアルイベントなどを通して、彼女に4回程度ファンレターを送った。そのすべてで、手紙に記した根源的な祈りは同じだった。
 僕が生きている世界。僕の苦悩なんて関係もせずに、絶望的に何も変わりはしない、変えられない世界。
 それでも、彼女が笑って楽しそうに暮らしているのなら、「世界、そのまま何も変わらないでいてくれよ」って肯定して思えるのだ。

 だから何も変わらないこの世界で、ずっとずっと、幸福な姿を見せてくださいと。
 そう祈りを込めていた。

 僕が彼女の言葉で一番印象的なのは、2019年10月の誕生日配信であった、何気ない一言だ。
"「いろは、アイドル部入る前はただのキモオタだったのに、アイドル部入ってから友達が多いキモオタになったんだよ」"
"「いろはがTwitterでおはようっていったら、おはようって返してくれる人がいるってめちゃくちゃすごいことだと思わない?」"

 きっと僕は、こんな彼女の感性に、ずっと惹かれていたのだと思う。

 最後の配信が始まって、不思議と涙は出なかった。一日前にあったメンバー限定配信で、覚悟が決められていたからかもしれない。卒業を目の前にしても、ずっと笑い続けてきた彼女らしく、ひたすら明るく振り返り雑談が続いた。気を抜くと、ただの記念配信かのようだった。だが、最後の10分、意を決したかのように、彼女は卒業に触れ始めた。
"「いろはがいろはを好きでいるために、金剛いろはがあったんですよ。
 自分を肯定するための存在として金剛いろはがあったんですよ。」"

 僕はこの言葉が本当に嬉しかった。外野の僕が世界を肯定するために、彼女を必要としていただけじゃなくて。彼女自身が自分を肯定するために、金剛いろはという存在があった。金剛いろはというストリーマーはただのパフォーマンスでなく。彼女から半径0メートルの自分の世界を、認識を、よりよくする作用があったのだと知って、その輝きを追い続けた僕もなんだか救われたような気持ちになったのだ。

 そして、時間は運命の汽笛に近づいていく。やっぱり、彼女は笑っていた。湿っぽくなる視聴者を励ましてさえいた。前日のメンバー限定配信から「どっかにいるから」「イマジナリーになるだけ」と繰り返していた彼女らしい態度。
"「見えなくなっただけでそこに在るとわかっていれば、在ると同じだから」"
 きっと、彼女は「友達の多いキモオタ」から、また「ただのキモオタ」に戻るのだろう。それでまた、元同僚の配信などをこっそり陰で見て、これまでのように一人やかましく笑い倒すのだろう。それが見れないのは少し寂しいけれど。

 

 ……いや、そんなの凄く寂しい。やっぱり、耐え切れない。卒業なんてしないでくれよ。そう泣き叫びそうになった時、金剛いろはの、正真正銘最後の言葉が紡がれた。

"「笑って終わろうぜ皆、泣くな皆。どだい無理な話だが、泣くな。

またね!
……『また』はないな、『また』はないんだったわ
もう『また』はないけど、いろはには。絶対にないけど。
でも、まあちょっとでもね、ちょっとでも金剛いろはがいたんだなっていうのを思い出してくださればそれはめちゃくちゃ本望だなと思っております」"

"「じゃあみんなバイバイ
また会おうな

……ずっと、忘れないと思います」"

 

 

 「またはない」なんて突き放しておいて、最後にうっかり「また会おう」って言ってしまうのが、どこか抜けてる彼女らしくて。頑張って明るく振る舞うことを貫いているのが彼女らしくて。……その癖に最後の最後で、言葉を振るわせてしまうのも、やっぱり彼女らしいのだった。

 だから、僕が今お別れをしたのは、紛れもなく2018年5月から観測しつづけた、あの金剛いろはなのだった。

 これからの彼女の物語は、僕にはもう追うことはできない。僕が拠り所にしていた1等星は僕の惑星から遠く離れていき、2021年4月29日23:00を以って観測域を超えた。
 ただ、忘れてはいけない。星の等級などというものは、地球を中心とした基準でしかないことを。
 だから僕の観測域のずっと遠くで、彼女はずっと眩く瞬いているのだ。

 

 見えなくなっただけでそこに在るとわかっていれば、在ると同じだから。

 金剛いろは様へ、届かない最後の手紙を残します。

 あなたの卒業を経て僕は、あれだけ不変だったはずの世界が、初めて全て変わってしまったように思います。
 ここは不安になるほど静かで、足元を照らす灯りさえ見当たりません。
 それでも。

 やっぱり僕はこの惑星を歩いていくと決めました。

 これまでずっと、あなたの美しい輝きと軌跡を観測させてくれたこの世界。
 そして今は見えないけれど、どこかであなたが笑い続けているはずのこの世界。
 そんな世界を、これから僕は自分の力で肯定して、歩み続けます。

 また会いましょう。ずっと忘れません。

#147

 私立中学を受験したことがあるのですが、受験に際して本を一冊持ってきてくださいと事前通達があったんですよ。何なんだろうと思って受験に臨んだのですが、当日の試験日程の途中に持ち込んだ本を読むという謎の読書時間があったんですよね。その間、試験官が眼光を光らせて一人一人を見回っていたのですが、もしあれが持ち込んだ本のセレクトや、読書の姿勢を評価して採点していたとしたら、これ以上最悪なことはないですね。どんな本をどんな態度で読んでも個人の自由に決まっているし、それで人間性や協調性を評価される筋合いはないんですよ。僕はと言えば、たしか足を組みながら江戸川乱歩の傑作選を読んでいました。でもその学校に落ちたのは読書時間のせいじゃなくて、単純に小学校嫌いすぎて年間30日以上サボってた問題児だったからだと思われます。

#146

 動物は”死”を理解しているのか、それは不明瞭な部分が多いようです。たとえある程度の概念をくみ取っていたとしても、その解像度は人間には遠く及ばないのでしょう。「人間にとって一番の困りごとは、死を発見してしまったことだ」とはよく言ったものです。故に「でもいつか死ぬのか」という無力感は何よりも人間らしい苦悩なんですね。

#145

 依存症や抑鬱からの脱却で重要なことは、「他者に同情してもらえる可哀想な自分」と決別する覚悟を決めることなんですよね。数多の人が実践しているのでおわかりでしょうが、精神疾患はそれだけで属性になりえるので、うまく扱えば自分のキャラクタを補強する手段にもなり得ます。しかし属性としてそれを纏い、第三者に発揮すればするほど、その疾患を取り除くのが困難にもなります。大きなアイデンティティを手放す決断ですからね。僕がよく使うたとえを用いれば、断食芸人が断食を手放す選択の難しさというわけです。最近アルコールをたらふく飲んで、ぼんやりとミッドナイトゴスペルを視聴していたんですが、第二話でまさにこの話題を取り扱っていました。

 

"「コメディアンは死への不安を取り除く施術に抵抗がある。不安で壊れた精神状態を治療したらお笑いの能力がそがれるからと。早く悟っていたら、君はもっといい作家になれたと思う?」
「禁酒をしたら恐怖を感じた。もう書けないと思った。惨めな状態じゃないから。それに、恥はもとより荒れ狂うエゴも必要だった。」
「それがないと私はクレイジーではなくなり面白くない。"元気で幸せになるともうダメ"。でもこれこそが病やエゴのウソなのよ。」"

 

 同じようなことはアル中関連の書籍でもたびたび言及されている印象です。そして、僕が思うにこの恐怖感は、家族・恋人や会社内の立ち位置といった、社会的な立場に興味がもてない人間ほど、顕著になっていくように思います。そういった人たちは第三者からキャラクタを押し付けられる機会が欠如しやすい(与えられても積極的に乗りたがらない)ため、「自分はどんな人間か」を発揮するためにセルフプロデュースしか手段がなくなりがち。だから安易に手が出せて、しかも自身の欠点を武器に変えられるメランコリックで自傷的な属性に手を出したが最期、そこからの決別が難しくなる。そんな属性でSNSなどの界隈にデビューしてしまうと、もし自分が一抜けしようものならせっかく築いた他者関係がパーになるかもしれないという恐怖も常に付き纏うことになりますからね。みんな、鬱でネガティヴで依存体質な自分を面白がっているのであって、健康で凡庸な自分は見てくれやしない。むしろ仲間意識を持って行った人々に恨まれるかもしれない……。そんな思考に悩まされる様は、まさに自家中毒です。これは特に専門書からの引用ではないです。だから勝手な暴論かもしれない。ただ、少なくとも僕はそうですよ。薬もアルコールも拒食も、抑鬱でさえも全部、一つの属性として纏うことを良しとしている自分がいる(いた)。だから、そのアイデンティティを手放す覚悟を決めない内は、依存症を治せないし、そもそも治そうと動くことさえしないんです。
 解決策は「そんな最悪なプロデュースを続ける自分と決別して、健康的なアピールを見つけなさい」とそれに尽きてしまうんですが、そんなマッチョイズムな理想を言っていても仕方がないし、もちろんその腹を決めたとて精神疾患が解消するかってそんな単純なわけがないですよね。そもそも依存も精神疾患も環境や物質的な影響がほとんどですし。身体と精神は密接に結びついているのだから、お互いに作用しあって、ずるずる悪化していくケースがほとんどでしょう。僕はアル中予備軍である自分にある種の優越を感じているという以前に、そもそもビールやその他アルコール飲料が大好きで常に飲んでいたいし、それらを摂取しないとイライラして体がむず痒くなってくるんです。同じように「抑鬱持ちである自分」を演出することを止めたからといって(これは少しずつ心掛けている)、今でも不定期で不安・抑鬱症状やパニック、フラッシュバックの発作が襲い来る(自分が双極性なのかなんなのか、今でもよくわかっていない)。ただ重要なのは、依存を断ち切るチャンス、岐路に立った時に、そのハリボテのアイデンティティに後ろ髪ひかれて、改善する道を自分で断ってしまわないこと。常にそのY字路に立つ覚悟を背負って、振る舞いを考えること。それは僕みたいな甘えた人間には途方もなく難しいことだけど、今はまずできることから。

#144

 ご存じの通り桜花賞は大爆死しました。しかしサトノレイナの最後の追い込みは素晴らしかったですね。惜しくも2着でしたが、続くレースでもソダシ共々どのような軌跡を残していくのか楽しみです。それはそれとしてやっぱり金が溶けたのはムカつくので、目には目を、博打で失った金は博打で取り戻す、ということでパチンコでも行こう。と思っていましたが、やはりこれ以上ギャンブルの灯に薪をくべてはいけないと理性からの警告が出たので、家でおとなしく過ごして、ゆっくり消火します。ここでは冗談めいた書き物にしてますが、本当はいまだに心臓がバクバクしてて、思い返すと冷汗が出て、次の皐月賞のことばかり考えているんです。Twitterでは桜花賞をミュートワードにしました。勝った人たちの反応を見てしまうと、嫉妬でまた次のレースに賭けてしまいそうなので。今、脳内では「あれは勝てるレースだった」「選択肢にファインルージュは入っていたのだからもう少し踏み込んでいれば」「次は負けない」という最悪の妄想ばかりが湧き出てきます。一度カッとなると、もう取り返しがつかないんですよね。期待値とかテラ銭(控除率)とかコンコルド効果とか、そういう現実のあれこれはちゃんと理解してるんです。公営ギャンブルがマジで儲かるなんて微塵も思っていないんですけど、それでもダメなんです。ギャンブルでしか味わえない感情があって、多分これが僕の中にある一番原始的な快楽で、そこに片足でも入れると、一発で中毒症状に蝕まれるんです。だから、禁域に指定してそこに近づかない以外方法がない。今回は迂闊だった。せめていつものように非日常として競馬場に遊びに行くのなら救いがあったけれど、ネットで買うことを覚えてしまった。これからどうにか距離を取っていきたいですが、感触としてもうしばらく抜け出せないのは分かっています。後はいかに適切な距離を保つか。依存との闘いがまた一つ増えてしまいましたね。あとメイケイエールが18着なのはマジで予想できなかった。とにかく、今日は全部頭から吹き飛ぶまで酒飲んでふて寝します。

#143

​2021年桜花賞は3連複のフォーメーションで挑みます。
 18-4-6
 18-4-8
 18-4-16
 18-8-6
 18-8-16
※18:サトノレイナス 4:ソダシ 6:ストゥーティ 8:メイケイエール 16:ソングライン
なんとなくソダシ(現時点予想1番人気)よりサトノレイナス(同2番人気)を軸馬にしました。桜花賞の過去レース見ると2番人気のほうが馬券になってるし、ソダシ内枠すぎる気がしたので。初心者が3連複って攻めすぎか? アカイトリノムスメ(同3番人気)が入ってきたり、サトノレイナ
スが外れたりしたらどうしようとかも考えましたが、ギャンブルなんてのは失う覚悟がなければ何も得ることは出来ないんですよ。僕は数多の失敗を重ねてきた典型的な破滅型プレイヤーなので、今更行儀のいい賭け方なんてできやしない。どうせなら心のままに攻めの姿勢でいきたいですね。勝ったら軍資金で美容室いきます。

#142

 最近は本を読んだり漫画を読んだり映画を見たりする時間が増え、その忙しさか自分について考えることが減り、結果として気分が落ち込んでいる時間が少なくなりました。元気といえば元気なんですが、思考を先延ばしにしているだけのようにも感じます。そもそも、気分が快活に近づけば近づくほど、なんで生きているんだろうって想いが強くなるんです。

 何のために生きているか。個々人のアイデンティティとは究極的にこの問いではないでしょうか。しかし、僕ってなんで生きてるんでしょうね。それは本当によくわかってないんですよ。よく知人に、お前は物事を複雑にとらえ過ぎだ、余計なことまで考えすぎだ、こだわり過ぎだ、などと言われます。

「俺は味の分解能が低いから好きな冷凍食品をずっとリピートしてれば満足できる。死ぬことや生きることについて深く考えることを放棄してるから悩むことも少ない。その反対を行くお前はちっとも幸福そうじゃない。考えるだけ損をしている」
 はあ、そうですか。そもそも僕は幸福のために生きてないんですけどね。もちろん苦痛のために生きているわけでもないんですが。哲学にはかなり疎いので、ここらへんを過去の人々はどう切り抜けてきたのか知らないのですが、少なくとも僕の世界には「考えすぎる」という言葉はないんですよね。思考を切りのいいところで止めて精神安定を保つのは有効ですが、それを振り切って自信を顧みないで内面や世界を探索する行為も大変意義のあることに思います。しかしまあその探索は本当に危険で、結局深淵に飲み込まれて帰ってこれなくなる人は多いのですが。それでもその探索の道中で残された言葉や表現はなによりも価値がある。だからお前も心の中にボンドルドを飼え。貪欲に下層を目指せ。

 閑話休題。しかしまあ難しいですよね、幸福とか快楽って。僕の中の無意識はおそらくそれを望んでいて、僕にそこを目指した行動を促していく。でも、やっぱり僕はそいつらを享受しつづけるのが怖いんです。僕は弱いから。弱いから、溺れる勇気もないんです。現状に満足して、何も考えなくなって、そして何も残せなくなるのは恐怖です。だから少しばかり不幸でいたい。苦しんでいたい。もがいている間は、生きている理由を模索できる。

 僕はよく、皆が幸福になればいいと口にしますが、それはこの世界があまりにも絶望に溢れているから、幸福の総量を上げたいという願いであって、けっして不幸の根絶ではないんです。より正確にいえば、僕の願いは人々がその生の最後に、幸福であったと決算できることなんです。その過程には不幸も苦難も多大に必要だと思います。少しの絶望も消えた世界では、芸術も表現も消えるので。呂布カルマもオーライオーライで言っていた。とにかく、僕は結末としての幸福を望みはすれど、その持続は要求したくない。だから思考によって安定が失われようとも、僕はそれを続けざるを得ないし、何かを知りたいという欲求は止まらない。怠惰なので歩みは遅いけれども。だから心が望むままにコンテンツを追い続けることは、確かに幸福で快楽的ではあるけども、やっぱり本質の部分が大きく叫ぶんですよ。でもその叫びはうまく聞き取れなくて、一体何をすれば僕は満たされるのか、それは自己や世界の探索の果てに存在するのか、それはいまだに分からないんです。

 お前、なんで死なないの。って、この問いに僕は明確な回答が出せない以上、どうにか生きている理由を探していかねばならない。理由探しで時間を稼いで、どうにか体躯が滅ぶまでやり過ごそうって坂口安吾的なやり口もありますが。でもやっぱり探索を進めた先に答えがあればいいなあ。望むのは、幸福な生じゃなくて、幸福な死なのかもしれない。
 

#141

​2月の消化コンテンツ続き。

・アニメ 14話

 ヒプノシスマイク 7~13話

 ホリミヤ 1~7話

まとめ: あんま見てないですね。ヒプマイは年末に途中まで見てたので、それの続きを消化しました。ホリミヤはNetflixで見つけて「懐かし~~」って気持ちで観始めました。いつの間にかガンガンでリメイクされたんですね。大昔、web漫画時代にちょいちょい読んでました。そういやWARKING!!(猫組)とかも読んでたな。好きなweb漫画とかもそのうちまとめてみようかなと思います。

 

・映画 9本

 さらば愛しきアウトロー

 マイ・プライベート・アイダホ

⇒キアヌ×リヴァー・フェニックス、色気の暴力か? 僕が大好きな漫画「not simple」

にも近い展開があり、また全体を漂うメランコリックな雰囲気がたまらない。

 マトリックス

 マトリックス リローデッド

 マトリックス リボリューションズ

 アニマトリックス

 牯嶺街少年殺人事件

⇒4時間映画を観るは本当に久しぶり。3時間はちょいちょいあるけど、4時間はなかなかないですよね。「愛のむきだし」以来かもしれない。でも画作りが独特なのでまったく飽きなかったですね。そういえば同時代をテーマにしている「返校」が映像化していたけれど、あっちの評価はどうなんでしょ。

 あの頃。

 花束みたいな恋をした

 

まとめ:まあ少ないほうかな……という感じ。具体的な目標があるわけではないんですけど、15~20本は月に見ないと怠けてんなって気持ちになります。そういや2月からはまた映画館にも行くようになりました。レイトショーがないのはちょっと不便ね。

 

・漫画 42冊

 いじめるヤバイ奴 1~10巻

⇒マガポケで無料だったので読みました。最初は「web広告にありがちな過激な設定のいじめ漫画だな~」という印象だったんですが、途中からバトル少年漫画化していって面白さが加速していきます。というか、会長選くらいから作者のリミットが明確にぶっ壊れて、トンデモ展開のオンパレード。唐突に学園内に迷宮が登場したり、ナイフを肉体が弾いたり、近接系キャラの形態変化が当たり前になったりする。マジでこれ何の漫画? まあそれが異様に面白いので全て許されてしまうんですよね。登場人物たちが当たり前と認識したら、もうその世界では当たり前なのだから仕方ない。もちろん今後も追い続けます。

 

 金色のガッシュ!! 全16巻

⇒ガチガチに世代なんですが、連載当時はファウード編で読まなくなってしまったので、ラストまで読破したのは初めてです。一番好きな魔物言っていい? ザルチム……(多分ほとんどの人は覚えてない)。ファウード編でリオウの手下として参謀を任されていた敵キャラです。こいつは死に際の回想が最高なんですよ。参謀らしい冷静・冷徹な態度の裏で、リオウへの友情・憧憬・畏敬がまぜこぜに存在していて、しかも頭脳派の本人すらその感情に整理がつけられてないんです。鉄面皮のような人物が、実は誰よりも人間くさい。僕はそういうキャラに弱いんですよ。

 

 私の百合はお仕事です 1~7巻

 コーヒームーン 1,2巻

 ブルーピリオド 9巻

 忍者と極道 5巻

 あんじゅう 1巻

 九条の大罪 1巻

 上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花 2巻

 ご飯は私を裏切らない

 りこさんブッチギリです! 1巻

 

まとめ:まあまあ読みましたね。ガッシュは完全版で読んだのですが、単行本だと33巻らしい。今後も30冊くらいのタイトルを毎月1本は読んでいきたいな。

 

・ゲーム0本

 

まとめ: おしまいだ。Apexはたまにやってます。クリプトが好きです。でも下手です。あとはバンガロールやブラハもよく使います。ジブとかレイスは苦手。前半では結局シルバー1くらいで終わりました。せめてゴールドは行きたいね。ハースストーンとか頑張っていたころから思っているのですが、レート戦のゲームは、単純にランク上げるのに回数重ねなきゃいけないのが性にあってなくて辛いです。それでも細々と続いてるのはやっぱりゲームが面白いというのと、付き合ってくれてる知人のおかげですね。すぐ頭がカっとなって前線に行き、真っ先にやられてしまうのが現状の課題ですね。メンタルコントロールを学ぶ必要がある。ここでも精神の問題かよ。そういやコンサータがe-sportsのドーピングとして使われてるという話を聞きますね。僕はストラテラ常用者ですが、シラフの時は弱くなってたりするのかな。

・総括

1月より小説・漫画は読んだみたいですね。怠惰な生活をしているのは何も変わらないんですが、継続的にコンテンツを消化する感覚が多少戻ってきたかな。というかテキスト更新しないうちに、いつの間にか3月も過ぎて4月になってましたね。はあ……。

#140

2021年2月の消化コンテンツまとめ

長くなったので分けます。

 

・本 11冊

 教養としてのアート投資としてのアート/徳光健治

 現代アートとは何か/小崎哲哉

 現代アート、超入門!/藤田令伊

 「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考/末永幸歩

⇒現代アートについて、あらためて振り返ると疑問点が沢山有ったので、書を漁りました。他人に勧めるとしたら、まず初学者向けの「現代アート、超入門!」か「13歳からの~」。どちらも同じようなことを繰り返していたので、ぶっちゃけ後者だけ読めばいいですね。次に「教養としての~」を読めば、現代アートの投資的側面を補完できるはず。ここまでは必読。というのも、現代アートというのは独特のコードのようなものがあって、どうしてもアートを取り巻く環境(ギャラリー、マーケット、プレイヤーなど)とは切り離せないからです。「現代アートとは何か」の方は、アートワールドの世界的状況を細かいところまで知りたければ読むといいと思います。しかし、「現代アートとは何か」というタイトルの割にアート界隈のスキャンダルばかり取り扱って回りくどいし、連想ゲーム的に話が繋がって要点が分かりにくいので、まずは全部スキップして最後にある各章のまとめだけ読むのを勧めます。あと5章のアーティストを取り扱う項はおすすめ。サミュエルベケットと現代におけるアートの関連性とか面白いですよ。(もちろん本編各章は、様々な具体名とともに事細かにアートワールドの内情が描かれているので、通読にも大きな価値はありますよ)。

 一連の読書を通じて、アートワールドの外野として感じたことは、気が向いたら書くかもしれません。他にもいい関連本があったら教えて欲しいです。

 

 これだけでOK!麻雀初心者が最速で勝ち組になる方法/平澤元気

 これだけで勝てる! 麻雀の基本形80/福地誠

 科学する麻雀/とつげき東北

⇒1月に麻雀を覚えたので、名著とよばれる教本を読んでみました。とりあえず定石は理解したかな? ルールを覚えた後は「勝ち組になる方法」を読んで、書かれていることを忠実に再現できるように反復練習すれば、そこそこ上手くなれる気がします。牌効率で疑問が出てきたら「基本形80」含め他の書を読んで答えを探せばいい。で、ここまで書いておいてなんなんですが、最後の「科学する麻雀」を読んで麻雀の実態を悟り、僕は見事に麻雀のやる気をなくしました。ちゃんちゃん。

 読み物としても抜群に面白いので、麻雀プレイヤーは是非読んでみてくださいね(スーパー名著なので、全員読んでいるのかもしれない)。

 麻雀を少し学んで思ったことは、自分は麻雀というゲームと非常に相性が悪いようで。そのことを深堀りしていけば、逆説的に自分が求めているテーブルゲームの形が見えてくるなあということ。麻雀の学び自体は決して無駄とは思わないです。今でもたまに気分で雀魂してますし。いつかはフリー雀荘も経験してみたいですね。

 

 推し、燃ゆ/宇佐見りん

⇒個人的な感想としては、主人公であるあかりの自己不在による「中空」の不安定さが印象的な小説だった。

 本文は一人称で進んでいき、非常に丁寧な心象描写、行動原理が描かれるのだが、いまいち彼女に感情移入はできない。「過激な推し方に引いてしまう」といった表面的なことではなく、本質的な部分で主人公の精神をトレースできないように巧妙に梯子を外されているように思えたのだ。

 あかりの中心にあるのは推し=アイドルであり、そしてそれはブラックボックスでもある。この作品は、「推し」である真幸くんに対して、主人公のあかりは最後まで接近することがない。故に、彼への視点は定点観測である。ラストシーンでも決定的に示されるように、彼女には推しのプライベートの一切が分からない。どうしても距離は変わらない。だから、彼女は執拗に「解釈」にこだわる。同時に、他者(それも象徴でしかない)を中心に祀って生きる彼女には、本質的な自己表現の手段が奪われており、エゴの発生する余地がない。感情はあるが、それは推しの盛衰とともに表層に顕れるシステマティックな応答、もしくは脊髄反射のようだ。

 本編でもあかりにとってはまさに「推すこと」こそが「背骨」と認識しており、それこそが彼女の全ての根源である。だから推しの引退に際する感情の暴走も、彼女自身のエゴというより、生命機能を奪われんとする動物のその本能的な抵抗のように見える。

 象徴でしかないアイドルを中心に抱えて生きるあかりは、推しの解釈不能という状況に陥ったとき、その存在はあまりに弱くなる。そして最後にその象徴が彼女の中心から取り払われた後、彼女はその「中空」に何かを詰めていく必要があった。そして、それが四つん這いで生きていくということだったのだろう。

 

 (これだけで書こうと思ったけど、周りを見ていると「感情移入できた!」というレビューが多くて自信をなくしたので、内容削ってここにまとめました。草稿からのコピペなのでここだけ常体です)

 

 世界は救えないけど豚の角煮は作れる/にゃんたこ

 八本脚の蝶/二階堂奥歯

 幽霊たち/ポール・オースター

 

まとめ:先月よりは幾分か冊数読みましたね。僕は普段はフィクションばかり読み漁っているのですが、今月は例外的に教本的なものを多く読んだ気がします。先のことは深く考えていませんが、とりあえず年間100冊くらい読めれば満足かなあと考えています。

#139

僕は、僕のことも、他者のことも分からない。ただ一つ言えるのは、僕という存在を何者にもくれてやるつもりはないということです。

#138

ウマ娘(アニメ)を履修して学んだこと

⇒「電気サーカス」冒頭、主人公のミズヤグチが弟と一緒に見ている競馬レースはおそらく1998年秋の天皇賞である。

 (レース途中で骨折して安楽死した馬、というのはサイレンススズカのこと)

ちなみに好きなウマ娘はトウカイテイオーです。2年前に初めて東京競馬場に行ったときは、2万円負けで帰ってきました。

#137

 労働嫌いをこじらせていた数年前、気が狂って某宗教法人のコミューンに飛び込みで訪問、そのまま数日お世話になったことがあります。もちろん好奇心が10割ですが、本当にたいして仕事もしなくても生活できるんだったら理想的じゃんね~と思っていました。が、炎天下の中でひたすら農作業(ネギ畑の雑草を刈り、その束を運ぶ仕事)をさせられて、もちろん給料もでないので「これなら普通にデスクワークしているほうが百倍楽でリターンも合ってるな」と感じたのですぐサヨナラさせていただくことに。でも自給自足で作った飯は確かに美味かったし、中の人たちも穏やかでしたね。これはもう個人の問題ですが、和を以て貴しとなすというか、競争をなくして欲を減らして日常のための日常を送ろうというのには、僕は適応できないみたいです。どうしても非日常が欲しいし、ある種の欲望は制限せずに生きたいですからね。そもそも他者は嫌いじゃないけど協調は苦手なので……。そんなの集落に入る前にちゃんと自己理解しとくべきなんですが。

 他に面白かったのは、その法人を批判するコミックエッセイがあることを中の人たちも認識していて、客人である僕の前でも話題にしていたことですね(昔は酷い時もあったけど、今は~というような語り口でした。僕みたいな第三者が悪い外聞をインプットしているという前提で、自己反省のムーブを見せて安心させる意図もあったのかな)。
 集落を出る時は「明日はバーベキューがあるから、あと一日だけ止まっていきな~」と引き留められましたが、それで離れにくくする意図もあるのかな、と勘繰ってしまい、断ってしまいました。それでも見ず知らずの怪しすぎる成人男性を受け入れて、役割を与えてご飯をくれたことは、そこにいた人々の、本心の優しさだったんでしょうね。
 でもやっぱりあの炎天下の地獄の農作業と、ここに書いてない部分で感じたいくつかの違和感を思い出すと、僕は現代の資本主義システムの中でこれからも生きていこうと思います。

#136

"「楽しいから」

 あきらがささやいた。

「楽しいからやるって言ったのに、泣くのはおかしいね。悲しいのに、すぐ直るのはおかしいね」

 さとるはあきらのほおに顔をすりつけながら、震え続けた。

「人間だからわからないね。人間だからわからないね」"

ノーライフキング/いとうせいこう

20210305

#135
 今日、僕は一人の女性が死ぬのを見た。僕が殺した。

 先月から読書と読書の合間に少しずつ「八本脚の蝶」を読み進めていた。それは編集者であり稀代のビブリオマニアである二階堂奥歯が、2003/4/26に飛び降り自殺するその当日までネットに書き記していた日記である。僕らはその結末を知っている。故に、書を進めるということは、彼女という物語を消費していくことに他ならない。物体としての文庫本をめくっていく行為は、その尽きる時までも把握されている彼女の人生というものの有限性を、否応なく自覚させる。彼女の残した膨大な叙述と引用を追っていると、その嗜好と思考が僕の中にインストールされていくのが分かる。そうした積み重ねの果て、僕の中で二階堂奥歯という女性は実態を持ちつつあった。文章の羅列を超えて、自在に振る舞い、その最期さえ覆してしまいそうなほどに。
 そして、今日僕は最後の頁をめくった。もちろん、結末は変わらなかった。歴史に規定された通り、奥歯は飛び降りた。今から約18年前の4月、同時に、2021年の2月に。

 

 死者の言葉を読む行為は、しばしば共犯者になることだと思う。
 自殺配信を行ったとあるネットユーザーが最期に残したテクストが、僕は今でも忘れられない。

 

このホームページを作った理由を書きます。

確かに俺は、1988年7月24日から自殺したその日まで、この世界に存在していたけども、
人知れずこの世界から消えてしまうと、俺がこの世界に存在していた事実まで消えてしまうような気がして、
それが怖くて寂しくて、自殺が出来なかったんですね。

だから俺は、俺がこの世界に存在していた証拠を残す方法を考えて、
自分の人生を書いたホームページをネット上に公開することを思い付いたんです。

なぜなら、このホームページには俺の人生が書かれてるけども、
だからこのホームページを見た人の脳に俺の人生が記憶されるけども、
その記憶こそが、俺がこの世界に存在していた証拠になると思ったからです。

…要するに、俺が自殺出来た理由は、
このホームページをここまで見てくれたあなたのお陰なんです。
本当に感謝します。ありがとうございました。

さようなら。

 死ぬのはいつも他人だ。だが、それを殺すのは時として僕であるときがある。
 このテクストが出回った時、「どうせこいつなんか、誰の記憶からも忘れられるよ」と言い放った人間を見た。
 騒動からしばらくしてから、「もう誰もxxx(上記テクストの執筆者)のこと覚えてない」と言い放つ人間も見た。
 僕はこのテクストを読んでから、今に至るまで、一度も彼のことを忘れたことはない。これからもきっと。だから、僕は彼の死の共犯者としてこれからも生きていく。そして、きっと二階堂奥歯の死の共犯者としても。


 これは感染(ミーム)のゲームだ。もし、僕の死がどこかに綴られたとき、それを読んだ誰かは、きっと僕の死の共犯者になる。
 どうか、忘れてくださいね。

 

#134

 死について。全て私の主観である。当たり前だ、死生観ほど主観的なものはない。


・人の生きる時間に「満了」はない。よって、いついかなる歳で死のうとも、それは「途中」や「半ば」ではない。


・自身の出生は絶対的な強制であるが故に、自殺は絶対的な自由と権利である。
 しかし、人間が自身の出生を拒否できたとしても全体の幸福度は変わらないと思われる(芥川龍之介「河童」の世界にも自殺者はいたように)。
 また、自殺は自由と権利であれど、全ての自殺がその行使によるものではない。選択せざるを得ない状況に追い込まれた、「選ばされた」こともありうる。


・人にとっての生と死の価値は、各人によって大きく異なる。よって死を選ぶことに、その人の生前の立場や業績を反映させすぎてはいけない。死を選ぶことに「もったいない」という言葉ほど場違いなものはない(これはある人への警句)。


・自分が死んだ後にあるのは無であると認識している。よって、自分の死後に一切の意味はない。遺体状態、葬式の有無、墓や散骨、ハードディスクの消滅を依頼する等は無意味であると認識している。
 だが自身の死後について、生きている間に何か想うことは無意味ではない。無意味ではないが、それほど有意義であるとも思えない。
 例えば遺言。実際の執行については死んでいる私にとって無意味だが、書くことで「今生きている私」の精神的な安心につながるのであれば意味はある。多少は。
 一例として、私の集めた書籍やその他ディスク、雑貨類、電子機器など(それらの売却額はおそらく、自身の貯金額より大きいと思われる)は親族に遺しても、人に譲ってもいいと思っている。その行く先にあまり興味がない。だが、私のささやかな悪意を満たすために、ここでは全て燃やすべし、と綴る。

 

・死者について語るのはあまり好きではない。特に「あの人が生きていたらこう言った/こうした」などという言説は品がない。そんな言い回しは生きている人にはそうそう使わないだろう。死んだ瞬間に思想が容易に騙られるのは悲劇だ(僕はこういう言説をする人間をネクロマンサーと揶揄している)。
 

・死者を使って過剰な自己表現するのも下品だ。だが、人は死者についてしばしば語りたがる。それ自体は全く悪徳ではないが、死者について語るというのは、「私にとっての死者」「私と死者」を語る事に他ならない。よって死者について語るとき、人は全て広義の「死者を使用しての自己表現」をしている。だが、それは生者に対しても同じである。自己表現でしか何かを語れない私たちは、せめて自己優位の手段として死者を用いないように気をつけることしかできない。
 

・自殺を止めることは究極的には不可能だ(当たり前)。それ故に他者はいくらでも自殺を止めるように働きかけても問題がない。最終的な決定を妨げることはできないのだから、止めようとするのは自由だ。いくらでも止めようとしていい。(これは特に個人的な思想。もちろん諦念に基づく)
 

・再三になるが、私の死後に意味はない。私にとって、死んだ瞬間から先には何も続かない。よって、私にとって死ぬのはいつも他人だ(デュシャンの言葉を借りる)。
 

・上記認識では、死後の世界に何かを残そうとする行為はやはり無意味に思える。よって、私は自分が生きている時間のために創作している事になる。本当にそうだろうか? そんなことはないように思える。これについて未だ答えは出ていない。
 

・もちろん、私が死にたくなる時は非理性状態であるときが多い。だが、死ぬときは理性的に死にたいと(理性状態であると思っている現在の私は)願っている。
 

・私は常に死を恐怖している。そして人は、往々にして恐怖を望む。
 

・死は救済でなく、無意味になる事である。
 

・理性的に無意味に還ろうとする行為は非常に困難な勤めである。よって私が理性的に死を迎えた場合、それは私の人生で最も大きな達成であると言えるだろう。

#133

 仮想通貨、ビットコインがハネているせいか、また盛り上がっていますね。僕は仮想通貨に関しては今では完全ノータッチの身なのですが、学生時代の一時期に結構熱を出していたこともあって、なんとなく昨今の再隆盛を見ていると懐かしい気持ちになります。そんな時代の懐古。

 自分は第一次仮想通貨バブル(という名称を用いていいのかしら?)である2017年-2018年初頭に参入していました。最初に手を出した銘柄は、王道のビットコイン(BTC)。たしか、2017夏の時点で一度相場がグンと上がったことで、一般認知度がそこそこ高まった瞬間があったんですよね。僕はその時にバイト代のいくつかを、気まぐれでBTCに換金していたんですよ。その時の円相場が1BTC=500,000JPYくらいかな? もちろん0.1BTCとかそのくらいしか保有してなかったんですけど。その後、すっかりそんなことも忘れていた同年11月、なんとBTCバブルが顕在化、いつのまにか1BTCが100万を超えて、僕が買った時の2倍を記録することに。これは凄いことになるかもしれない、と慌てて追加でBTCを購入すると同時に、その時高騰が噂されていたモナコイン(MONA)も追加投資しました。このとき1MONA=300JPYくらいですかね。モナコインは結構コミュニティが面白くて、日本のトレーダーやエンジニアが頑張って盛り上げようとしている面も好きで、お気に入り銘柄でした。2ちゃんのAA板に居たり、FLASH黄金期を過ごした自分として、郷愁のような雰囲気に浸れたからかもしれない。そういえば高円寺にはモナコインで支払いができるモナバーなるものも出来ていましたね。僕も一度訪問したのですが、今ではいつのまにか閉店してしまったようです。神聖かまってちゃんの の子 も、モナコインに手を出して連日はしゃいでいたのを覚えています。「33歳の夏休み」の歌詞にもモナコインが登場してますね。話を戻すと、このモナコインがまあ化けた。11月末~12月頭が仮想通貨バブルの最高潮だったと記憶しているのですが、1BTCは最高で2,000,000JPY、1MONAも2,000JPYへ到達。モナコインに関しては約7倍の資産価値になって、すっかり僕のギャンブル脳もヒートアップ。年始には暴落するなんて思いもせず、追加投資です。もうBTCやMONAでは資産を短期間で何十倍にするのは無理だろうと悟り、暗黒大陸へ踏み出すことを決意。そう、草コイン(マイナーな銘柄)です。この時期、とにかくいろんなインフルエンサーたちが草コインに手を出していて、それぞれが自分の大量に保有する銘柄の価値をあげようと宣伝活動に必死でした。僕もそれをいくつか見定めて、BTCやMONAで増やした資産を崩して複数の草コイン銘柄へ全力投資。1月を超える頃にはBTCやMONAが暴落を始めましたが、この時にメジャー銘柄で保有していたものは一度円交換しています。この時は界隈には「まだまだ伸びる! 大切なのは握力※!」(※少し価格が下がっても円交換や損切りしない度胸のこと)という風潮が強く、そのせいで換金額も「確定申告とかにならないように少し……」という感じでした。この時素直に全部円に換金すれば良かった。しかし僕はアホなのでメジャー銘柄の全てを草コインにぶっこみます。1月を超えて少し経った頃、保有していた銘柄の一つがなんと一夜にして、購入時の50倍くらいに膨れ上がる大事件が発生。実はこの頃、味を占めた僕はすっかりいい気になって、研究室の先輩にも仮想通貨を教えていたんですが、このハネた銘柄に二人とも相当額投資していたこともあって、深夜に電話して大盛り上がりしました。次の日にはまだ円交換もしてないくせに「いやー、学生の身分でこんな大金持ってるなんて考えると、もうなんでもできるよな」と天狗になって、二人でちょっといいうどん屋とかに行きました。まあこの後の展開は目に見えてると思いますが、本当にうどん屋程度でよかった。お察しの通り、草コインはその後すぐに大暴落。行動が早い奴だけが勝利する世界では、すぐに変動を察知できる奴が勝利者です。しかし僕らは一度50倍のギャンブルに勝利して、高みを垣間見てしまった身。恥を忍んで告白すると、マジで1000万超え、いやそれ以上を目指していたので、ここで引けません。さらに界隈の「大切なのは握力!」にまんまと踊らされて、毎日チャートに張り付いてはまだ高騰できると信じ続け、結局ゴミ屑以下の価格に暴落するまでその銘柄を手放しませんでした。常々思うのですが、僕は本当にギャンブルを降りる才能がない。結局、まだ円交換できるうちに損切りして、手元に残ったのは年末に換金したお金と合わせても、初任給2,3か月分程度。十分と言えば十分なんですが、一瞬でも高みに近づいた身としては完全に夢破れた敗残者です。しかし、今BTCが5,000,000JPYを突破していることを鑑みると、本当に「大切なのは握力!」だったのかもしれません。もうメジャー銘柄も0.1BTCたりとも残していませんが、ちょっとは遊び程度で保有しておけば良かった。とほほ。ギャンブル関連はいつもこんな感じです。堅実に生きようという教訓。
 そういえば今では普通にポストskypeとして利用しているDiscordですが、初めて使い始めたのは草コインの情報収集のためでしたね。とある銘柄ではDiscordでのコミュニティがすごく盛り上がっていて、毎晩お祭りのように人々がチャットに励んでいました。あれは今よりクローズドだった時代のインターネットを想起してすごく楽しかったのですが、バブルの崩壊とともにいつのまにかコミュニティが消滅していて、寂しいばかりです。「いつか大金を手にして、JPYマイニング(日々の労働のこと。仮想通貨的ユーモア)から卒業する!」とキラキラ夢を語っていた人たちがどうなったのか、僕にはわかりません。

 

 

 まあ身も蓋もないこと言えば、どっかのインフルエンサーのオンラインサロンとかで搾取されてそうだな。

#132

2021も早いもので、もう1月が終わったようです。去る2020は、数ヶ月ほどド鬱と情緒不安定を引き起こしており、ラリったり自分を殴ったりを繰り返しては小説も映画も観ずにベッドの上で唸り続けるという酷い時期がありました。反省として今年はできるだけ多くのコンテンツに触れていきたい。ということで、1ヶ月ごとに摂取した作品をちゃんとまとめようかな、と思い立った次第。とはいえ僕は消費した作品を明かすのがすごく苦手ですよね。自分という人間の底の浅さが露呈するようで。だから今までこんなリスト化は一度もやってこなかったし、今なお抵抗も感じているのですが、こうでもしないとまた無益な一年を過ごすのが目に見えている。ということで、恥部を晒すような気持ちですが、列挙してみました。感想は気分で付けたり付けなかったりです。

 

・本 5冊

ムーンパレス/ポールオースター

五分後の世界/村上龍

不道徳教育講座/三島由紀夫

東大式麻雀入門/井出洋介

 ⇒かつて麻枝准がTwitterで入門書として勧めていたので読みました。麻雀を理解してないのがコンプレックスだったんですが、ようやくルールを理解して、たまに知人と雀魂でプレイするようになりました。とはいえまだうまく役が作れず、闇雲に手牌を切っては運任せでリーチをかけるばかりなので、より実践的な戦術本を読み始めています。

ハッピーエンドは欲しくない/n

 ⇒個人的に今月一番面白かった。元々ははてな匿名ダイアリーに投稿された文章で、人気を博したために大幅に拡張して一冊にしたようです。高校を中退し、フリーターをしながら合法ドラッグを食み、そんな生活をしているうちにプログラマとしてある程度の成功を収めつつも、しかし借金を重ねて路上生活、復職するも、今度はアジア放浪の旅へ……。奇怪な経歴を持った作者の半生を回顧した作品。特に後半は、詳細な旅の描写に加えて、そこで感じたことを丁寧に綴っていて、読んでいるだけで長い旅に同行しているかのように感じる良質な旅行記でした。

 

まとめ:全然小説読んでないですね。僕は4冊くらいを並行して読み漁る癖があり、途中まで読んで止まっている本がいくつか残っているんですけど、それにしても読了したのが5冊とはひどい結果。とはいえ、この5冊はどれも素晴らしいものばかりだったと思います。どれも人に勧められるレベルの良書で、快い読書体験でした。来月は単純に読了冊数を増やしたいです。

 

・アニメ 2クール

新世紀エヴァンゲリオン

 ⇒好きなところをかいつまんで再視聴するのは時折やっていたけど、通しで観直したのは10年ぶりくらいかもしれない。初めてエヴァを感じたのは母の胎内です。僕を孕っていた時に本放送中で、母も父もたいそうハマっていたようです。多分、産まれて初めて観たのもエヴァなんだろうな(テレビ放送中に僕が出生しているはずなので)。

 

まとめ:再視聴のエヴァだけ。

僕はそもそもアニメを多くは観ないんですが、それにしても、それにしてもだろう。アニメ映画もちょいちょい観てたので、気づかなかった。来月は前クール・今クールとかの気になっている作品とかも消化していきたい。あとシンエヴァに合わせて過去作観たのに、延期してしまって哀しい哀しい。

 

・映画 16本

新世紀エヴァンゲリオン劇場版DEATH(TRUE)

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

レクイエムフォードリーム

キングオブコメディ

スコットピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団

 ⇒原作漫画も買ったけどまだ途中です。ゲームの方も完全版が配信されたそうで。漫画が読み終わったらプレイ予定です。クリエイター陣が大好きなので。そういえばエドガーライト作品はベイビー・ドライバーくらいしか見たことがなかった。

ショーンオブザデッド

 ⇒スコットピルグリムついでにエドガーライト作品を見ることに。アメリカゾンビ映画にイギリスの国民性を反映させたコメディ。そういえば元凶であるロメロのゾンビ(ドーンオブザデッド)も、アメリカ国民の消費社会を揶揄したものでしたね。

ファンタスティックMr.FOX

パーフェクトブルー

千年女優

 ⇒実は今敏の作品、ほとんど観てなかったんですよね(妄想代理人、パプリカくらい)。

カルト

 ⇒ネオ様かっこいいけど、これで終わりで許されるんかい。

スーパーバッド

 ⇒去年観たブックスマートがすごく面白かったのですが、これはその翻案にでもなったんじゃないかと思うくらい本筋が近いですね。こちらもとても面白かったです。

遊戯王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS

 ⇒作画良すぎ。城之内が懲りずにエアマックス95履いていて面白かった。

シャークネード

シャークネード カテゴリー2

シャークネード エクストリーム・ミッション

シャークネード4

 ⇒好きなバーチャルYouTuberが3と4の同時視聴配信に出演することになったので、1から観ることにしました。1は設定こそぶっ飛んでいるものの、意外とミニマルで堅実な作りだった印象。2はひたすらゲームのQTE集を観ている気分でした。たまにボタン押し忘れた奴が死んでいく。2以降は主人公フィンの英雄譚に舵切っていて、どんどん思い切りが良くなっていく……が、ぶっちゃけ面白いなと思ったのは2だけで、3以降はB級にありがちなこれまでの焼き回しを続けていくだけに感じました。それを楽しむジャンルなのだろうし、ある意味正しい姿かもしれない。4で思いっきりパロディ路線に走るのも、もはや安心感がある。

 

まとめ:まあまあ観た方な気がする。普段のペースでいうともっと少ない月もある。でも、やっぱり月16本ってどうなんだろう。気持ちとしては月20本くらい観たいとは思うけど。映画はまとまって2時間とか使うので、調整が難しい。とりあえず最低このくらいのペースを維持しつつ、余裕があったら増やしたいですね。

 

・漫画 11冊

よふかしのうた6巻

アル中ワンダーランド

忍者と極道4巻

チ。2巻

岸辺露伴は動かない 1~2巻

カラオケ行こ!

SAGA of SWAMP THING

HELLSING 外伝(THE DAWN)

拝Hiテンション

コヨーテ

 ⇒ヒラコー作品を買い漁った。コヨーテに関してはCOMICパピポで連載していた単行本未刊行の続編(ANGEL DUST)があるのですが、入手はかなり困難な様子。国会図書館にも該当するバックナンバーが欠けているし、困ったものです。

 

まとめ:少なすぎ。論外。漫画は割と読んでいる方だと思っていたけど、蓋を開けるとこれだ。そもそも好きな漫画の新刊とかも読めてない。とりあえず来月からは50冊くらいは読んでいきたいです。

 

・ゲーム0本

 

まとめ:SEKIRO進んでない。APEX楽しい。来月はエロゲもやりたい。

 

・総括

ご覧の有り様です。酷すぎて恥ずかしすぎる。無為に生きていてごめんなさい。誰か殺してくれ。ぶっちゃけ1月の多くは酒飲んでソファに沈んで天井を眺めていました。2月は真面目に生きます。

#131

 度数の強いお酒が飲めなくてもアル中になれる環境とは。

 アルコール依存症、アル中、お酒を飲むのでなくお酒に飲まれてしまった人。世間では「アル中=意思薄弱のダメ人間」として、彼岸の人々であるかのように捉えている人々が多い気がします。一升瓶を抱えた浮浪者然とした社会不適合のおっさんのイメージがいまだに強すぎる。アルコール依存は日本でも230万人程度いて、これは飲酒者の30人に1人以上がアル中であるということです。さらに依存症患者の約80%が未治療の恐ろしい病でもあるんですよ。つまりアルコール依存というのは非常に身近で、誰であろうと陥る可能性のある落とし穴であるわけです。それなのに、社会は酒に寛容すぎる。飲みすぎていても軽い愛嬌の内、健康的なはしゃぎかたであると、お酒の失敗をいくらでも許容するような雰囲気が形成されている。僕は睡眠薬ODを卒業して、その代替に飲酒するようになったのですが、しかしいろんな人から褒められる。みんな、酒は睡眠薬より何倍もマシとか思ってる。正直、睡眠薬というのが人々にとって身近な存在でなく、酒はその逆であるというだけな気がしますが……。これは僕の私見です。とにかくアルコールはキングオブドラッグであり、身体への悪影響も、精神への悪影響もしっかり持っています。僕は全くもってアルコール依存症ではありませんが、既に習慣性飲酒者ではあり、広義の予備軍になりつつあるかもしれません。まあ定義はどうあれ酒がやめられない状態に陥っているのは事実。今回は、僕みたいに特別度数の強いお酒が好きなわけでもない人間が考えた「できるだけストレスフリーでお酒を飲み続けることができる環境」作り、つまりアル中のステップをさらに踏み出すためのノウハウを記します。

 前提として、ここでは身体依存ではなくて、アル中への第一歩(ファーストステップ)として精神依存を目指すものとします。アルコール依存症にはいくつかのステップがあるようですが、最初のステップは機会飲酒から習慣飲酒への転換だと思います。飲み会や週末などに飲酒をしている状態から、やがて酒が手離せなくなり、毎日必ず飲酒を行うようになる(精神依存の形成期)。そうなれば、次はウィークエンドドリンカー(平日は夜から、休日は朝昼から可能な限り飲み続ける)、そして連続飲酒者(起きている間はひっきりなしに飲む)と変貌していき、不治の病であるところのアルコール依存症患者が出来上がるわけです。

 ここで思い出すのはPSのソフトで「破壊王」というソフトです。このゲームはしがないサラリーマンを操って破壊暴力を繰り返していくストレス解消ゲームがなのですが、ステージが進むごとに主人公の暴力欲求がエスカレートしていき、それに合わせてどんどん容姿もモンスター化していくというぶっとんだ展開なのです。やがてサラリーマンはゴジラ顔負けの巨龍となり破壊の欲求に完全に飲まれて、東京のビルディングを破壊し尽くす……という構造は、今思うと飲酒量を増えていくに従って自己破滅的になり、違う人間に変容していくアルコール依存症の精神内面にも似たようなものを見出せる気がします。まあ破壊王についていえば、最後は東京どころかアメリカまで行って、ラスボスである自由の女神(松明からレーザーを放つ)と取っ組み合うという電波ゲームなのですが。操作性最悪でストレスフルだし……。しかし謎の羽虫が脳に語りかけてきて破壊衝動を解放していくストーリーは傍から見れば統合が失調していくアレで、奇しくもアル中の重度症状にも似てる。

 なんの話だっけ。もっとわかりやすくデジモンとかで例えれば良かった。進化といってもスカルグレイモンですが。これ以上アル中について色々知りたければ、中島らも「今夜、すべてのバーで」や吾妻ひでお「失踪日記」「アル中病棟」まんしゅうきつこ「アル中ワンダーランド」をご参照ください。

 閑話休題。

 何はともあれ、常に飲酒ができる状態を目指しましょう。アルコールへの欲求は日常の至る所に存在しますが、初期において、それはささやかに灯るのみです。家に酒がなくて買いに行くのが面倒だったり、割材がなかったり、その程度のことで飲酒を諦めたりする理由になりえるでしょう。酒は飲みたいけど、面倒には勝てない。ふとした瞬間に弾けた、その些細な火花を逃さないために、限りなく飲酒までのハードルを下げて、手を伸ばせばすぐお酒を飲めるようにすることが大切です。

 ウイスキーや日本酒を最初からグビグビ浴びることができるなら何も困らずに一瞬で酩酊することができるのですが、僕のような軟弱者はある程度酔いが進まないとそれができないのが困りもの。大好きで目がないのはビールなのですが、しかしビールや缶チューハイを買い溜めるのはなかなか金銭的にも嵩むものです。そこで、度数がそこまで高くない酒を多量に飲めて、金銭的負担もそこそこに抑えられる環境がターゲットになります。

 それでは僕が現在行き着いた最適解を述べていきたいと思います。

 

・ジョッキを買おう

 まずはここからです。小さいグラスで何杯も注いでいては酔いも冷めるし、単純に面倒臭い。ここはある程度の量を一気に呷れるように、ジョッキを買いましょう。これ一つでハイボールもサワーもビールも楽しめます。また、ホッピーやサワーを楽しむ場合はグラスを冷凍しておくととても美味しくできる(グラス自体を冷やすことで氷が不要になり、アルコールが薄まらない利点もある)ので、そういう意味でも冷凍庫にぶっ込んでおく酒飲み用のジョッキはいくつか持っておいて損なしです。

 おすすめは400ml以上、できれば500mlのジョッキ。500ml近くあると、焼酎+ホッピーを丸々一本注げるし、ロング缶のビールも一杯で煽れます。

ただしサイズが大きくなると冷凍室を圧迫するようになるので、手持ちの冷凍庫のサイズと相談してください。

 

・キンミヤ焼酎を凍らせよう

 我らがキンミヤ。酒飲みの強い味方です。もちろんそのままロックや水割りなんかで飲んでもいいのですが、キンミヤの強みは「ベースとしての雑味のなさ」だと思います。ホッピーやサワーを作る下地としてこの上ない性能を誇っているのです。早速スーパーに行って、1.8Lパックを買いましょう。使い勝手が良く、絶対に腐りません。そしてジップロックに注ぎ込んで、封をして冷凍庫にぶっ込むのです。これはシャリシャリに凍ったキンミヤ焼酎、通称・シャリキンを精製する儀式です。焼酎は水と違って冷凍しても完全に凍らず、かき氷状のシャーベットになります。これを割ってサワーやホッピーを飲むのが格別なのです。紙パックをそのままぶっ込んでおいてもいいのですが、注ぎ口が小さいのでよく詰まります。経験上、ジップロックで凍らせて、使うときはスプーンでベシャッと好きな量を移すシステムの方が勝手いいです。スプーンはそのままマドラー代わりにすればよし。

 

・割材を用意しておく

 キンミヤが用意できたら、あとは割剤を準備するだけです。とはいえ、世の中には星の数ほどサワーのレシピがあり、もうこれに限っては各人の好みとしかいいようがないのですが、とりあえず僕が普段準備している割材デッキを紹介したいと思います。

 ホッピー(箱買い)

 ウィルキンソン炭酸水(箱買い)

 レモン(スーパーで適当に何個かまとめ買い)

 サントリーウイスキー角瓶

 

 僕は基本、これらを絶やさないようにしています。

 ホッピーはビールの安価な代用品という認識がはびこっていますが、そんなことはありません、俗にいう3冷(ジョッキ・焼酎・ホッピーをしっかり冷やすこと)で作ったホッピーなら口当たりも良く、癖も少なくてあっさりとしていて、ビールより飲みやすくて好きだという人も多いのです。僕は生粋のビール党ですが、それでも無性にホッピーが飲みたくなる夜が定期的に訪れるくらいです。さらにビールより低カロリー、低糖質。ホッピー単体で飲めばノンアルコールビールの代用にもなります。過去、自宅勤務時の昼などにどうしても我慢できなくなったときは、ストレートでホッピーを飲んだりしていました。まあ今は開き直って仕事中も昼からビールをあおっていますが。

 炭酸水は主にサワーを割るのに使います。サワーを作るのに使う果実はまあなんでもいいのですが、僕はベタにレモンをいつも選んでいますね。半分に切ったレモンを絞り器で絞って、果汁と果肉を焼酎と炭酸水をいれたジョッキに注いでいます。絞り器は100均にあるから買ってください。グレープフルーツやオレンジ、キウイなんかも合います。多少手間はかかるけど、コンビニで買う缶チューハイより何倍も美味くて、経済的でもあります。

 ホッピーもそうなんですが、自分で割材を使って酒を作ることの利点は、アルコ―ル度数を調整できることなんですよね。とにかく酔っ払いたいときに焼酎を調整すれば、ストロング系をしのぐレベルの強アルコール飲料にもなるし、逆に調子が悪い時はアルコール控えめにもできます。自分のコンディションに合わせて度数を変えるというのは、出来合いの製品では実現できない強みですね。とにかく、無理なく毎日飲酒を続けましょう。今回はアル中のステップを進めて精神的な依存を形成するのが目的なので。

 ウイスキーは割材とは呼びませんが、せっかく炭酸水を用意しているのですからハイボールも飲めるようにしておきたいですよね。ハイボールの利点はいろんな料理に合うことです。夕飯を食べながら飲むお酒としては利便性◎。まあ無難に角ハイにすればいいと思いますが、ここらへんは各人の好みですね。ちなみに僕の話をすれば、単純にウイスキー単体ならジョニーウォーカー黒やグレンフィデックが好きです。でもちょっと高いよね。

 

 ということで特段新規性のあるわけでもないですが、現時点で僕のアルコールライフを支えるメンバーを紹介しました。まあどうせ酒が進めば味覚なんて鈍ってくるんですよ。だから一杯目はビールとか好きなのを飲んで、以降は発泡酒とか、上記のサワーやホッピーやハイボールを飲み続ければ安価で手っ取り早く毎日酔っ払えると思います。気分がよくなってなんでも飲めるようになってきたら、ウイスキーでもストレートでグビグビいけばよろしい。

 ちなみに僕はIPAが大好きで、日本のラガービールではキリン一番搾り派。あとはオリオンやサッポロも好きですし、クラフトビールも大抵好きです。再三になりますが、とにかくビール愛が強い。最近の飲酒量としては平均60g/日を少し超えているぐらいだと思うので、ギリギリ厚労省定義で多量飲酒者になるぐらいですか。(ちなみに「節度ある適度な飲酒」は20g/日らしい。ビールなら400ml、ロング缶一本未満。無理に決まってるだろ)。まあ本格的なアルコール依存まではまだまだ先が長そうですね。つーことで、平気平気。

 是非お酒の場があれば誘ってほしいのですが、アレがアレでもどかしいですね。とにかく、健康でいたければお酒はほどほどにしましょう。僕は具体的な健康被害が顕在化してから考えます。

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